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奇跡の仕事術(手塚治虫)

少し前に、BSで手塚治虫の特集をやっていた。
その圧倒的な仕事量にまず驚いた記憶がある。(確か、300タイトル以上だったと思う)
壁一杯に作品が展示されていて、スタジオが手塚作品で埋め尽くされていた感があった。
全く違う話をそれだけ作り上げたというのもすごいが、純粋にそのVolumeに圧倒される。

その仕事量を実現するためには、同時に5社6社の連載を抱えて、締め切り前(過ぎ?)には担当者が傍らで原稿作成順を協議して、各社1ページずつ作ってもらったという凄まじい状況もあったみたいである。
絵を描くスピードの速さもすごいが、構想を固め、合間に海外旅行も組み込み、隙をみては映画を見に行くという、殺人的なスケジュールをこなしている。
(何事にもInputを心がけないとOutputは簡単に枯渇するので、それをとても高いレベルで実現していたのだなと思う)
10分・15分の仮眠をいれるだけで、連日の徹夜も日常だったようだ。
アシスタントを使って、極端な場合、構想を電話口で伝えて描いてもらって締め切りに間に合わせるといったことまでやっていたらしい。
その作品も1話読みきりの32ページといったボリュームのものも多い。
後世の人は、手塚治虫というペンネームの作家集団がいたのだという説を唱える人がでてきてもおかしく無い。(ブルバキのマンガ版といえば分かる人にはわかる)

昭和というと、最後に 美空ひばり、石原裕次郎、そして手塚治虫が相次いで亡くなり、時代が変わったという感を強くした想い出がある。
(直接には、正月休みに、見るテレビもなくなり、ビデオレンタルのストックも無くなったという騒動と、霙交じりの大喪の礼に仏大統領ミッテランが来ていたことが思い出される。 亡くなった小渕さんの”平成”の額を掲げる姿も・・・こちらは、最近、別の面で脚光を浴びたな。 DAIGO のおかげで・・・)

物心ついたころから、ずっと見てきたマンガの作者だから、当時は手塚治虫って、相当の年だと思っていたが、享年まだ60歳、今となっては短い一生だったのだなと思う。 そして、あんな仕事のやり方をしていれば、長生きはできんだろうとも思う。

そんな手塚の仕事の仕方、追い込まれ方、工夫が詰まった本が、「手塚先生、締め切り過ぎてます! (集英社新書)」です。
漫画家を目指して上京、なぜか編集担当者になって手塚の原稿を早く手に入れるために手伝っているうちに、最後はチーフアシスタントになってしまった福元さんの本です。
エピソードも面白いし、すぐそばに居た人だけに、普通ではないことが、”淡々と”語られています。

私の業界も、滅茶苦茶なスケジュールで超人的な仕事量をこなしている人たちが沢山いる業界ですので、共感というか、参考になることも多いです。
日本の企業さんでは、末端で壊れる、亡くなる方が多いと思いますが、外資ではえてして、中堅以上、本部長クラスで倒れる方が多い気がします。 まあ、いずれにしても、過酷な状況を普通と考えている業種なのでしょう。 よく今迄生きてきたなと、最近思うです。(結構、タフなんだな私・・・ 弱いけど)

そんな中に身をおいて、全身全霊を傾けて何かをなさねばならないのか、自らを見失わず出来る範囲でベストをつくすべきなのか、そもそも働くという意味はとまで、考えさせられました。(そんなことを考える人はそうはいないと思いますが)

手塚先生、締め切り過ぎてます! (集英社新書 490H)
福元 一義
集英社

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