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残念な快著 「落語論」

週刊文春を愛読している。
毎回必ず読むコラムは、1に先崎、2に堀井のずんずんとなっている。
いつも、ディズニーランドはどこが混んでいるとか、ドラマはどれが当たりだ、今一だと、
とにかく、どうでも良いことを普通でないエネルギーをかけて調査・発表していて頭が下がる。
この人は一体、何者なのかとず~っと思ってきた。(昔、日テレのマンボウにも出ていたっけ・・・)

で、どうやら、落語に魅せられた落語家にならなかった御仁であることが分かって来た。
(最近は、名古屋の方の、観客数名の演芸場を連採している。)

そんな堀井氏が、実にストレートな ”落語論”というタイトルの本を出した。

この本は、画期的な本です。

何が? 

従来とは異なる視点から”落語”の本質に迫っている点です。
・ライブとしての落語
・音声芸術としての落語
この2つを柱に、落語の巧拙を論じています。

CDやDVDによって記録されたものは、過去に生を経験したものが記憶を呼び戻すことに価値を認めるが、
本来のものとは異なると切り捨てています。
演目(特にテキスト)さえも否定的に扱っています。(あんなものは、落語家の符丁だと)。
毎回毎回、演者によって違うもので、同じものは一つとしてない、またそれが正しい姿だとも。

返す刀で、従来の落語評論を切り捨てる。 オチの形で分類するなど、落語を分かっていないと。
(そういう話をする奴からは、逃げろとまで・・・)

その一方では、多分今迄誰も触れていなかった、音楽としての落語の技術論、
声の高低のありかた、リズムといったところまで踏み込んで解説しています。

ただ、残念なことに、密度が濃いのは前半までです。
あとがきにもありますが、非常に短期間に書かれたようで、後半部分は冗長で観念論的すぎて、読みにくいです。

根本には、落語が好きで好きで、”何故好きなんだろう”と考えながら、いつか書きたいと思っていたテーマなんだろうなあ。
そんな、熱をヒシヒシと感じます。

堀井さんに同じような新書に、”落語の国からのぞいてみれば”という本もありますが、
あのような親切な読者を意識したガイド的な本と思って手にすると、裏切られます。

読み終わって、落語とクラシック音楽って、やはり似てるのかなと思いました。
オチを含めてストーリを全て知っている落語で笑う(魂を揺さぶられる)のと、
クラシックの名曲を暗譜するくらい聴いた曲でもまた聴けば感動するのと、根は一緒かなと思ったりもします。

ただ、ちょっとというか、相当原理主義的な、極端な論を展開している堀井さんが、
これから普通に芸人さんと付き合っていけるのでしょうか・・・それが心配です。
(そうか、それで名古屋の場末を取材しているのか・・・ (^^;)

【今回の本です】

落語論 (講談社現代新書 2007)
堀井憲一郎
講談社

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【おまけ】

落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)
堀井 憲一郎
講談社

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