ひとつは、座敷わらしで有名な緑風荘が焼けたこと。
もうひとつは、中川昭一の死。
どちらも、古き良き日本の象徴するものが失われたということを意味していて、単なる偶然と考えてよいのかと思う。
中川昭一氏についていえば、保守を主張する政治家、自民党の右派の代表と位置付けたい。
思い返せば、小泉劇場が幕を下ろしてから、日本を守ろう、無尽蔵の資金提供には抗してきたと思われる政治家が短期でその政治生命を奪われる形で表舞台からの退場を繰り返した。これも、無責任に政権を放り出したのではなく、国に殉ずるため、政権と引き換えに耐えて時間を稼ぐ挙に出たのではないか。そうでなければ、一連のドタバタ劇を合理的に説明ができない。
結局最後に、バカ太郎氏の登場によって、自民党は粉々になってしまったが、いずれ歴史の評価が逆転する日もくるかもしれない。
まあ、派閥の長が総裁選に出なくなり、子分を養えず統率力もない、一時の人気しか持たない候補が首相になるようになってダメになったという説の方が説得力はあると、私も思うが。
単純に日本の首相になるために、金とポスト、権力を集めて子分をあつめるという明快な派閥のあり方ができなくなってからは、自民党は長期低落になったね~。
色々と言われるが、結局、角福戦争の凄まじさから己の醜い影におびえたところから全てが始まったかな。 その意味でも、日本の政治を壊したのは田中角栄が始まり。
話を戻すと、そういった純正保守の政治家の代表、中川昭一の死をもって、今後は ”日本”を掲げる政治家がいなくなるのかなと思う。
(そういえば、青嵐会の生き残り 石原慎太郎も オリンピック招致で一敗地にまみれましたな。)
そして、今日、座敷わらしが律儀にも、すべてを燃やして、誰も命どころか大けがさえ負わすことなく、出て行った。
もう、僕のこの世での役割、お勤めの期間が終わったんだよという様に。
日本という国の、今までのあり方が終わり、太平記の時代に、再び突入したのかも知れませんな。
そういえば、一昨日、昨日とも、とても綺麗な仲秋の名月が空にはあったっけ。
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