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いやー面白かった・・・宇宙創成

昔から天文学や宇宙論は好きで色々と読んできたけれど、久しぶりに興奮する本に出会いました。

宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)
サイモン シン
新潮社

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サイモン・シンといえば、暗号とフェルマーの大定理の著作が有名で、内容も深いけれど、”読ませる”作家です。
今回は、文庫で上下2巻をかけての”宇宙論”です。

何もそこまで遡らなくてもという神話の頃からストーリーは始まります。

そして、最初のクライマックスが天動説と地動説をめぐるストーリーです。
普通、コペルニクスの地動説を引き継いだガリレオに対して頑迷固陋の教会が天動説を”聖書の記述”を基に弾圧した”事件”として簡略化されます。迷信と科学の対立図式によって”暗黒の中世”が強調するのです。 しかし、この本でわかることは、そんなに単純な話ではなかったということです。

プトレマイオスの天動説は複雑な円運動を組み合わせることで、”非常に精密な”計算により惑星運動などを計算できる”現実的”な手法で、地動説の方が、理念優先で分かりやすいが”不正確”な仮説として位置づけられていた、というのは驚きでもありました。(ケプラーが楕円を持ち出すまでは。) あの、小さな円を組み合わせた天体図には、そんな深い意味があったのか、と思いました。

サイモン・シンは、単に宇宙論の歴史を丁寧に記述して物語にまとめることもできたでありましょうが、
自分の考える宇宙論に沿って、全体を構成することを選んだようです。
それは、自然はよりシンプルで分かりやすい法則で構成されている、ということです。
いかに現実をより正確に記述できるテクニック、手法であっても、それが本質をとらえていないご都合主義的なものであれば、結局は間違っているというものです。
それは、アインシュタインの宇宙項の所でも繰り返し主張されています。
実態に合わないからといって、姑息な調整をすることで帳尻を合わせるのは、美しくなく、
”何故、合っていないか・・・”ということをトコトン突き詰めた者だけが次のステップに進めるという主張です。

そのためか、チコ・ブラーエからケプラーまでは詳細なエピソードを交えて時間軸通りに説明をしていますが、
突然、ニュートンをパスしてアインシュタインに跳びます。
ガリレオから光の速度、エーテルを経てアインシュタインに至り、そこからニュートンに戻るという形です。
(単純にニュートンが嫌いか、話としてつまらないと判断したかも知れませんが・・・)

本書のもう一つのテーマが宇宙論の歴史の再描画、緻密化です。
光の当たっていない本当に仕事をした人々に改めて光をあてることと、
いかに危うい偶然の連続で宇宙論が進んできたかという事実を積極的に記述しています。
この本を読めば、コペルニクスの著述が我々に残されたことが”奇跡”にさえ思えます。
また、宇宙の大きさを決める過程で多くのステップがあり、そのいくつかのステップで決定的な仕事をした人が、今では名前を知るものも少なく、評価される時には既にこの世にいなかったという多くの事実。また、女性や聴覚に障害があったがゆえに地道な作業に従事することになり、地味な仕事の先に決定的な観測事実を発見できたという事実を記述しています。
その歴史の再構成というプロセスは、今まで雲だと思われていた星雲を高精度の望遠鏡で観測したら、星の固まりの銀河であったということに似ています。

ただ、宇宙論の最後、ビックバンについては対象が専門的すぎたのか、まだ理論が固まっていないからなのか、切り口は甘く、曖昧となっています。
また、下巻の半分近くは、解説と用語の説明に費やされているので、実質は1.5冊です。
ただ、だからと言って、上巻だけ読んで終わりにできる人は居ないと思います。