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無能な政府と言われるけれど・・・

経済状況が悪く、マニフェストも守れなくなりそうだったり、新しいやりかたが定着せず、混乱ばかりで成果が出てない・・・
民主党政権の混迷ぶりが経済不調の要因とまで言われている。

うがった見方かも知れないけれど、無能な政権でも運営できるように国家の仕組みを作り直している最中なのかも知れない。

今までの自民党政権は官僚とタッグを組んで、精密で効率的な中央集権システムを作り上げた。 その結果、”特殊な”政治家と官僚でなければ国家のかじ取りができない、複雑なシステムになってしまい、制度疲労が出てきても修正をするのは容易ではない状態になってしまった。

既に、メンテができなくなったシステムは、捨てて作り直すのがシステム開発の王道だ。 日本の政治システムも同じじゃないかと思う。

そこで重要なのは、”誰でもできる”ようにシステムを作り直すことだ。

何十年も役人という専門家として過ごしてきたベテラン官僚と親子3代の家業として築きあげた地盤・看板で若くして政界デビューをした政界の重鎮で国家を運営するというモデルは人材の枯渇と経験価値の劣化・棄損に直面している。
もう、こんな複雑な国家を従来の方法でかじ取りをできる怪物は居ないし、期待もできない。

そうなると、官僚も政治家も、あまたある職業の一つとして、キャリアの選択の一つとして選べるようにしないといけない。
さすがに、官僚をそのように変えるのは急には無理なので、まずは政治家からということになろう。
今後は、色々な業種から政治家へのトラバーユが増えるのだろう。

能力(理解力、発想力、コミュニケーション力、体力・・・)があっても、知識と経験が不足している政治家がトップを勤める時代がやってきたということだ。
(今までは、タレント議員ぐらいだったが、これからは出身の職業にバラエティが増えるに違いない。)

従来の尺度や視点で考えれば新しいタイプの政治家は、みな無能だ。
しかし、無能な政治家(昔とは意味が違う)を使いこなせない国家のシステム自体が間違えているのだ。

ゴールはどうなるのか、私にはわからないが、少なくとも、現在のように中央集権的で強大な権限をもって、国がリードするシステムではないということだ。

かつて、東アジアの安定とともに、国家の中枢が席次・昇進争いと歌舞音曲に明け暮れた藤原摂関(無能)政治によって、地方の独立・武士政権の誕生という歴史を日本は持っている。
国が無能になれば、地方が、自分たちが、生活を守り、生きていかなければならない。 本来やるべき人ができなければ、自分でやるだけだ。

ローマが滅んで諸侯による封建中世が出現し、摂関政治が源平武家政権を生んだ。
芸術的中央集権国家が衰退すれば、地方分権の群雄割拠の時代がやってくるのが歴史の常道だ。
再び封建時代がやってくるのかも知れない。

大きな政府を望んでいる左より(労組依存)の民主党が、結果的に小さな政府の実現に貢献するというのは皮肉なものだが、世の中というのは往々にしてそういうものらしい。