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どうぶつしょうぎはすごい!

どうぶつしょうぎが本屋で売っていたので買いました。
早速、嫁と息子に渡して、様子見。

絵柄はかわゆく、ライオンの王様にたてだけのキリン、よこだけの象に歩と同じ動きのひよこ・・・これだけが成れて金の動きのできるにわとりになる。
これだけ、こまがたった4つ。こまには動きをしめすポチがついているので、難しいのは最初にこまを並べるときに、右がキリンということを覚えることぐらい。
将棋と違うのは、王様が入玉したら”タッチダウン”で勝ちぐらい。
ますも、3x4の12ます。

本当に3歳からでもできそうだね。
ところがどっこい、ものすごく奥が深い。

模様の張り方、こまの交換の損得、王様の位置取り・・・とにかく複雑。
油断するとあっさり逆転、すぐに詰められてしまうし、手待ちをして相手に先に攻撃をさせて優位を築くといった高等戦術が、あっというまに出てくる。

感覚的には相手のこまが使えるチェスみたい。

象さんが中央に張り出して頭をぶつけて膠着するのは、ポーンの動きみたいだが、象さんとキリンさんが連携してライオンさんを追い詰めるところは、金銀を使う終盤・詰将棋みたい。
象さんで追い詰めたところをするりと裸の王様が抜け出した時に、隅に王様がいたりすると間に合わなくてトライされて大逆転したり。
象さんが2枚そろうと銀矢倉のように縦・横のフォーメーションで面を支配できるが、銀と違って純粋斜めこまなので、お互いの効きがない状態になってしまい、安易に王手したら相手の王様にあっさり取られて真っ青・大逆転とか・・・

それにしても、すごいものを考えたものだ。

こまの数が少ないので、コンピュータによる完全解析ができる可能性が高いと思うが、このレベルでもできないとなると、取ったこまを再利用できる将棋の複雑さは限りがないことになる。

一勝負も短くて、バリエーションも沢山あって、将棋の面白さだけを濃縮したようなゲームです。
お勧めです。

どうぶつしょうぎ (日本女子プロ将棋協会公認)

幻冬舎エデュケーション

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フットボールの日(僅差の悲哀)

今日は一日フットボールの話題満載の日だった。
(サッカーの日としても良かったが、大学ラグビーがあったのでフットボール)

まずは、ワールドカップの組み合わせ抽選会。 日本はE組。
オランダ・デンマーク・カメルーンと微妙に粒の揃った難敵。
(誰が一番先にいーくみに入りましたねと親父ギャグを飛ばすか・・・現実は厳しい?)
まあ、南アフリカや北朝鮮に比べれば天国さ。

それから、慶応対帝京の大学ラグビー。
勝てば優勝の慶応が前半17点リードしたが、その後FWの力勝負に持ち込まれて、最後の最後に鼻差抜き返されて17-19で帝京の勝ち。
勝った気になったのかな、風上・風下の影響はそれほどなかったと思うが。

最後はJリーグ。
J1は鹿島がV3。 しかし、浦和が崩壊していたので、川崎はノーチャンスだったね。何度かポストが守ってくれたが、技ありクロスにFWの芸術的ダイビングヘッドで鹿島の勝ち。 あの内容をみると、フィンケは何をしたいのだろうか・・・
J2はもっとドラマチック。
まず湘南が2点のビハインドをひっくり返しての昇格決定。
得点の形は万国共通のゴールを横切るクロスとファーサイドからのヘッディング。 最後は力の差かな。 昇格争いの山梨もしっかり勝っていただけに薄氷の昇格劇。
それ以上にスリリングだったのが、J2の優勝。 土壇場で追いつかれて絶望的になった首位仙台に対して、同じく1点リードの状態からこちらは2点を取られてセレッソの負け。全盛期のフランス相手にシュートを決めた西澤の引退試合だったのに、残念でした。(本人でてないと思うが…)

J2の下位には、草津や熊本、水戸や徳島、それに残念ながら横浜FCと地方色も豊か。

決して強豪国ではないけれど、日本には豊かなフットボール文化が根付いているなと思った土曜日でした。

新聞を変えました

ほぼ半世紀、母の胎内のころから読んでいた読売新聞との契約を先月で終了しました。(といっても、実家ではまだ律儀な巨人ファンの父親が読売を購読していますが。)

そもそもの発端は、配達人と犬との相性が悪かった(早朝に過剰に吠えるのは周囲にも申し訳なく・・・)ようだが、対策を考えているうち、途中から”新聞自体”を止めようかという話になった。

よく考えてみれば、新聞を読むという習慣・意義がなくなってしまった。
ひどい言い方だが、新聞はテレビ版と折り込みチラシと”新聞紙”としての価値程度しかなくなってしまっている。
すでにNewではなく、読み物としても今一で、新聞を読む時間と労力があれば、他のメディア、活字にその時間を振り分けたいと思う。
実際、1か月近く新聞自体があたかも存在しないと思って生活をしたが、特に不都合はなかった。(テレビ欄はデジタルテレビが自分で教えてくれるし・・・)

しかし、学校でも新聞を調べるという宿題があるんだという奥さんからのクレームがあって、結局、一番安い朝刊だけの産経に切り替えることにした。
今や新聞業界の一番のサポーターは学校教育というのは皮肉な状況だ。

もう、毎朝、日の出る前に配達をするという勤勉な業態は止めて、読ませるQuality Paperになって日中配達する形にした方がよいのではないかな。
少なくとも、お父さん向けには、分析記事・深い記事が増えないと厳しい。

一方、チラシは確かに、とても素晴らしいメディアだ。
ローカルで価値の高い情報に満ち溢れている。しかも、インターネット以上にニーズを抱えているターゲットにきちんと届いている。たまにクーポン券がついていたりする。 なにより、擬似的ウインドウショッピングができるという楽しみもある。
購読料金の半分ぐらいをチラシの配布と考えてもよいかもしれない。
ただ、本来はチラシを作る側がお金を出すもので、無償が当たり前だ。
チラシだけを配る無償のサービスもあるみたいだ。

1部 130円と考えると安い気もするが、月4000円というのは高い気がする。

どこまで行っても新聞のビジネスモデルの将来は厳しい。

無能な政府と言われるけれど・・・

経済状況が悪く、マニフェストも守れなくなりそうだったり、新しいやりかたが定着せず、混乱ばかりで成果が出てない・・・
民主党政権の混迷ぶりが経済不調の要因とまで言われている。

うがった見方かも知れないけれど、無能な政権でも運営できるように国家の仕組みを作り直している最中なのかも知れない。

今までの自民党政権は官僚とタッグを組んで、精密で効率的な中央集権システムを作り上げた。 その結果、”特殊な”政治家と官僚でなければ国家のかじ取りができない、複雑なシステムになってしまい、制度疲労が出てきても修正をするのは容易ではない状態になってしまった。

既に、メンテができなくなったシステムは、捨てて作り直すのがシステム開発の王道だ。 日本の政治システムも同じじゃないかと思う。

そこで重要なのは、”誰でもできる”ようにシステムを作り直すことだ。

何十年も役人という専門家として過ごしてきたベテラン官僚と親子3代の家業として築きあげた地盤・看板で若くして政界デビューをした政界の重鎮で国家を運営するというモデルは人材の枯渇と経験価値の劣化・棄損に直面している。
もう、こんな複雑な国家を従来の方法でかじ取りをできる怪物は居ないし、期待もできない。

そうなると、官僚も政治家も、あまたある職業の一つとして、キャリアの選択の一つとして選べるようにしないといけない。
さすがに、官僚をそのように変えるのは急には無理なので、まずは政治家からということになろう。
今後は、色々な業種から政治家へのトラバーユが増えるのだろう。

能力(理解力、発想力、コミュニケーション力、体力・・・)があっても、知識と経験が不足している政治家がトップを勤める時代がやってきたということだ。
(今までは、タレント議員ぐらいだったが、これからは出身の職業にバラエティが増えるに違いない。)

従来の尺度や視点で考えれば新しいタイプの政治家は、みな無能だ。
しかし、無能な政治家(昔とは意味が違う)を使いこなせない国家のシステム自体が間違えているのだ。

ゴールはどうなるのか、私にはわからないが、少なくとも、現在のように中央集権的で強大な権限をもって、国がリードするシステムではないということだ。

かつて、東アジアの安定とともに、国家の中枢が席次・昇進争いと歌舞音曲に明け暮れた藤原摂関(無能)政治によって、地方の独立・武士政権の誕生という歴史を日本は持っている。
国が無能になれば、地方が、自分たちが、生活を守り、生きていかなければならない。 本来やるべき人ができなければ、自分でやるだけだ。

ローマが滅んで諸侯による封建中世が出現し、摂関政治が源平武家政権を生んだ。
芸術的中央集権国家が衰退すれば、地方分権の群雄割拠の時代がやってくるのが歴史の常道だ。
再び封建時代がやってくるのかも知れない。

大きな政府を望んでいる左より(労組依存)の民主党が、結果的に小さな政府の実現に貢献するというのは皮肉なものだが、世の中というのは往々にしてそういうものらしい。

KindleのVersionUp

KindleがこっそりVersionUpしました。

①電池のもちが良くなった。
②PDFが見れるようになった。

知らない間にこっそり最新版にあがっていたみたいで、常時回線がつながっているとこういうことができるんだな。(って、うちの会社の製品みたい・・・)

ただ、画期的な改変かというと、そうでもないです。むしろ、マーケ向けのマイナーチェンジ。

①の電池を持たせますってどんなファームをいじると製品が向上するのかと考えてしまいますが、なんのことはない、SleepTimerの短縮です。
今まではボーっとしていても画面消えませんでしたが、新しいVersionになると、よそ見をしていると画面がSleepになります。 そうやって電池の持ちを長くしましたということかなと思います。(まあ、他にも色々とやっているかもしれないが、顕著なところは、こまめに切りましょう作戦。)

②も画期的じゃんと思ってためしてみたけど、いまいちです。
確かにpdfが見れるようになるのですが、”本当にそのまま”見えます。
ということは、小さな小さなKindleの画面にA4のページが入る形になるので、とても小さくなります。(横向きに設定できるので、そうすれば少し大きいです。)
ただ、可読性という意味では、従来のメールで変換してもらう方が全然よいです。
試しに論文をダウンロードして変換してみたら、pdf版は数式が細かくなりすぎて読めませんでした。
従来の方式も1手間ですが、思ったよりも簡単ですぐに変換されて戻ってくるので、従来方法の方がお勧め。(特に、私のように目がベテランのエンジニアには・・・)

さすがに、突然カラーになったりは難しそうだけど、ある日突然、日本語が使えるようになりました、はあるかもね。

サクラス戸塚 混んでましたね~

サクラス戸塚がOpenしたので、早速土曜日に行ってきました。
いや~混んでたです。

長後街道が混んでいることは想定していたので、戸塚警察の処から、矢沢の立体を下りて右折するルートだったのですが、それでもなかなか・・・
なんとか、入場できましたが、駐車場はむしろあいていた感じです。
戸塚の周辺は今、工事の真っ最中で道路整備も後手後手なので、何もしなくても渋滞しがちなのに、Open Saleを当て込んで、沢山客が押し掛けたのだから、大変。

結局ニトリで安くなっていた枕を買っただけで退散しました。
(一通り、ぐるぐる回りましたが)
なにしろ、食料品を買おうとしても、スーパーが入場制限しているのだから、落ち着いて買い物できないでしょ。
長後街道側は出るのに時間がかかるのが分かっていたので、(入る時も列ができていた)1号線側(お寺側の裏道)から出て、そのまま東海道線沿いに北上して、戸塚のダイエーで、引き続き買い物をしました。
そちらも、新装開店のNojimaは混んでいたが、他はそれほどでもなかった。

今日母親に聞いたら、さすがだね、Open当日に行ったらしい。
長後街道、バスが踊場から動かなくなって歩いたということですが、地下鉄を使うという発想がないのは、昔の人だね。
混み方も半端でなかったみたい。よくわからん肉をつかんで買ったらしい。

ただ、かつての西友が平たくなって、店の種類が半分ぐらいになった感じかな。
ニトリが戸塚にもできたと理解しましょう。
すぐに落ち着くでしょうが、そうすれば、食料品も買える大きな駐車場ができたぐらいの感じになるかな。

FM戸塚のブースのところから、戸塚駅方向を眺めると、工事中の西口の状況が丸見えで、そちらも面白かったです。 そうか、トツカーナになったのか・・・ と。

Kindle for PC ~こんな画期的なソフトが無償とは・・・

Kindle PCを早速 Installしました。

すごいです。

自分の購入したKindleの本を自分のPCにダウンロードして読むことができます。
しかも、今度はカラーです。
画面サイズを調整することもできます。1ページの文字数が調整されて表示されます。

しかも、複数のPCで利用することも可能です。
どこまで読んだかをKindleも含めてSyncするので、自宅のPCで読んで、通勤途中はKindleで読んで、会社のPCでも続きを読むということも可能です。

利用できるのは購入した書籍だけなので、新聞や、自分で登録した書類はKindleだけになります。

さらに、Kindleのコンテンツを購入することも可能ですが、まあ、それはWeb経由で行うのがよさそうです。

さすがに、画像まである書籍の場合はPCの方がきれいだし読みやすいです。
また、マウスのホイールで簡単にページを送ることができるので、PCの場合は、ほとんど書籍を手でパラパラとめくっている錯覚に陥ります。

感覚的には、PC側に電子化された書籍があり、それをKindleに入れて持ち歩けるという、iTunesとiPodの関係になっていますね。

Kindleは素晴らしいけれど、英語しかないことと、$表記でワンクリックで購入できてしまう手軽さが、どうしても財布のひもを(実際はクレジットのひも?)緩めやすい点が問題ですね・・・ って、意志の弱い私以外にどこに問題があるのかな・・・ OTZ

いやー面白かった・・・宇宙創成

昔から天文学や宇宙論は好きで色々と読んできたけれど、久しぶりに興奮する本に出会いました。

宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)
サイモン シン
新潮社

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サイモン・シンといえば、暗号とフェルマーの大定理の著作が有名で、内容も深いけれど、”読ませる”作家です。
今回は、文庫で上下2巻をかけての”宇宙論”です。

何もそこまで遡らなくてもという神話の頃からストーリーは始まります。

そして、最初のクライマックスが天動説と地動説をめぐるストーリーです。
普通、コペルニクスの地動説を引き継いだガリレオに対して頑迷固陋の教会が天動説を”聖書の記述”を基に弾圧した”事件”として簡略化されます。迷信と科学の対立図式によって”暗黒の中世”が強調するのです。 しかし、この本でわかることは、そんなに単純な話ではなかったということです。

プトレマイオスの天動説は複雑な円運動を組み合わせることで、”非常に精密な”計算により惑星運動などを計算できる”現実的”な手法で、地動説の方が、理念優先で分かりやすいが”不正確”な仮説として位置づけられていた、というのは驚きでもありました。(ケプラーが楕円を持ち出すまでは。) あの、小さな円を組み合わせた天体図には、そんな深い意味があったのか、と思いました。

サイモン・シンは、単に宇宙論の歴史を丁寧に記述して物語にまとめることもできたでありましょうが、
自分の考える宇宙論に沿って、全体を構成することを選んだようです。
それは、自然はよりシンプルで分かりやすい法則で構成されている、ということです。
いかに現実をより正確に記述できるテクニック、手法であっても、それが本質をとらえていないご都合主義的なものであれば、結局は間違っているというものです。
それは、アインシュタインの宇宙項の所でも繰り返し主張されています。
実態に合わないからといって、姑息な調整をすることで帳尻を合わせるのは、美しくなく、
”何故、合っていないか・・・”ということをトコトン突き詰めた者だけが次のステップに進めるという主張です。

そのためか、チコ・ブラーエからケプラーまでは詳細なエピソードを交えて時間軸通りに説明をしていますが、
突然、ニュートンをパスしてアインシュタインに跳びます。
ガリレオから光の速度、エーテルを経てアインシュタインに至り、そこからニュートンに戻るという形です。
(単純にニュートンが嫌いか、話としてつまらないと判断したかも知れませんが・・・)

本書のもう一つのテーマが宇宙論の歴史の再描画、緻密化です。
光の当たっていない本当に仕事をした人々に改めて光をあてることと、
いかに危うい偶然の連続で宇宙論が進んできたかという事実を積極的に記述しています。
この本を読めば、コペルニクスの著述が我々に残されたことが”奇跡”にさえ思えます。
また、宇宙の大きさを決める過程で多くのステップがあり、そのいくつかのステップで決定的な仕事をした人が、今では名前を知るものも少なく、評価される時には既にこの世にいなかったという多くの事実。また、女性や聴覚に障害があったがゆえに地道な作業に従事することになり、地味な仕事の先に決定的な観測事実を発見できたという事実を記述しています。
その歴史の再構成というプロセスは、今まで雲だと思われていた星雲を高精度の望遠鏡で観測したら、星の固まりの銀河であったということに似ています。

ただ、宇宙論の最後、ビックバンについては対象が専門的すぎたのか、まだ理論が固まっていないからなのか、切り口は甘く、曖昧となっています。
また、下巻の半分近くは、解説と用語の説明に費やされているので、実質は1.5冊です。
ただ、だからと言って、上巻だけ読んで終わりにできる人は居ないと思います。

記憶の不思議(サクラス戸塚Openに寄せて)

今週末、サクラス戸塚がオープンする。
知らないうちに、大きなショッピングモールができたものだ。
西口の再開発がまだ業者の入札・選定中なのに、どんどん建物ができつつあるという不安定な状態をさらしていて、毎朝その状況を湘南新宿ラインを待ちながら、見るとはなく観察している者としては意表を突かれた感じもする。
最近、派手なスポーツクラブの広告が目についたり、FM戸塚のオープンなど、戸塚関連の動きが活発になっていた背景に、これがあったのだなと納得した。


そういえば、戸塚の西友が閉めてかなりの時間が経って、その跡地を拡張する形で作り直したのが、今回のサクラス戸塚。 HomePageもできている。(ここ→ http://www.saclass-totsuka.jp/
ニトリも入るようだし、西武系から東急系になるので、無印良品は戻ってこないみたいだが、それなりに立ち寄ることになりそうだ。(最近、中田・元葛の口の商店街の衰退がひどいので、帰宅時の買い物ができなかったので、その解決にはなりそうだ・・・)


そこで、急に蘇ってきたのが西友戸塚店の”感覚”だった。


感覚 ・・・ そう、戸塚側の自転車置き場から上の場所に、階段とスロープを使って、自転車を押し上げたこと。 子供が生まれてすぐに、乳母車を押しながら乗った狭い、何故か1Fは外にあるエレベータ。今にも飛び出しそうな急ならせんを描く駐車場のスロープ。 閑散としてむき出しに近いフロアに荷物が積まれていた100円ショップと貴重な無印。そこで買った中国茶の香り。 開店の時の大混雑の中、もたれかかってマンガを読んでいた柱。トリコロール(?)で初めて食べた広東麺の味。親がなけなしの金をはたいて赤いピアノを買ってくれたので招待された古賀まり子のイベント(母親が興奮)。雑貨を販売している一角で何故かイベントをやっていた林家こん平の派手な衣装と燃えるような眼の輝き。お年玉をためて、口座をもって今に至る三井銀行とその後の名前の変遷。( 家のローンもあの2Fで締結したっけ・・・。)


うーん、自分の人生の一部が、あそこにあって、それが今、跡形もなくなってしまって、別のものに再生されるというのは、とっても不思議だ。


こんな、感触まで蘇ってくる”記憶”を新たに作るため、家族で近いうちにまた通うことにしよう。

二人のジョー

松井の周辺が騒がしい。
あれだけの活躍をしてしまったMVPを放出できるのか。
1-2年の契約で今年と同じ状態でキープしたいというのがNYの本当のところだろう。
逆にあれだけの打棒をライバルとして迎えたくはないはずだ。(多分、DHのあるア・リーグに移るだろうから→ ましてや、レッドソックスに移ったら、フェンウェイでどれだけ打つのだ松井は・・・)


今回の大爆発を信じていたのは、松井の真価を理解していたのはトーリのほうだ。
常に松井を頼って最後の最後に届かない年が何年も続いたあげくバイバイとなった。
そして、皮肉なもので、放出前提で”壊れてもらってもよい”とコメントをしたジラルディのほうが、勝利の美酒を浴びることになった。


その一方で、突然のミスター・オクトバーとなったA・ロッドの爆発といい、結果を出す、能力を引き出して勝利するという点では、ジラルディのほうが上だったということか。


今回もドジャースは勝てなかった。
短期決戦でチームを勝ちに導くという能力では、トーリには何か足らないものがあるのかなと思う。
それが、かつて、ベンチコーチを置いていた理由なのかも知れない。

そして、今回の松井のMVPを一番複雑な思いで見ていたのもトーリではないかと思うのだ。

それに、偶然にもどちらもジョーなんだな。 (城島も、真弓もジョーといわれるみたいだけど、それはまた別の話題)