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温暖化論の正体 (気候変動への漠然たる不安感)

温暖化について、データが改ざんされたとか、背景に政治的・経済的な動きがあって、一種のスキャンダルとして報道されているが、日本ではあまり取り上げられていない。
クライメートゲートというらしく、伊藤さんのブログに詳しい。

そこでは、何故日本では温暖化について反対する情報が展開されないのかという”報道の偏向”に焦点を当てているように思われる。
しかし、本当に日本人は温暖化の科学的証明に関心があるのだろうかと思う。
データが多少おかしくても、”温暖化”にだけ関心がある日本人にとって、クライメートゲートはあまり関心を呼ばないネタなので、取り上げられないのでは、というのが私の考えです。

日本人の文化には移ろいゆく四季が深く刻み込まれています。花鳥風月、風流を解する心がDNAにしみ込んでいるがごとし。世界でもこれだけ変化に富んだ気候に恵まれて、季節の変化に敏感な民族は少ないのではないか。

そこに、昨今の天候不順です。
毎年のように各種気象記録が更新されていて、大雨、長雨、冷夏、酷暑、桜の早咲きを襲う異常寒波。おかげで、今年の桜は中々散らなかった。(東北・北関東では満開の桜に雪が積もったそうで)
日本人の共通潜在意識が、この天候不順に危機感を覚えているのではと思う。

ただ、その危機感を表現する言葉が見当たらない今、”地球温暖化”というのはとても便利なラベルです。
しかも、その原因が自分たちの”贅沢”から排泄されるCO2というのだから、贖罪意識をもった祈りの心を刺激せずにはいられない。 努力と懺悔によって自然現象を収められて、神様からも許してもらえるというのは、日本人の宗教観・世界観にすごくマッチしていると思う。

そういう信仰に近い状態、”空気”になっている温暖化というラベルだから、少々データが改ざんされているといった”程度”の情報では、何も変わらない。

そもそも、温暖化を支えているのが気象に対する”漠然とした不安”である以上、それに対する解答・説明が出てこなければ、温暖化ブランドは揺らぐことはない。

大体、日本人にとって、理論や証明、証拠といったものはさして重要ではなく、抱えている不安感を解消してくれる”説明”の確からしさ(雰囲気)の方が重要で、しかもなんとなく権威のありそうな人が言った意見であれば、なお一層強力な説得力を持つ。(だから、誰が、いつどんな状況で言ったかが重要になる。)

そういった空気が充満している状況では、みな聴く耳を持たないわけで、ニーズがなければ、そこに商品は提供されないのではないでしょうか。

賢明なる日本人は、所詮、温暖化は2012年滅亡説と同程度の眉つばものと考えられていると信じたい。