ホーム » テクノロジーとお仕事 » 英語学習について

過去投稿一覧

ジャンル

英語学習について

うちは外資系です。
みんなが思っているほど英語は必要ありません。
また、みんなが思っているほど英語がみんな出来るわけでもありません。

ただ、仕事によっては、電話会議なんかに参加することがあったりすると、本当に英語ができないというハンデを強く感じます。

それで、見栄ではありませんが、読みもしない英語の雑誌をとってみたり、KindleやiPadを大量の電子書籍であふれさせて、ところでいつ読むんだこれを という状況になります。(多分、買い物が代償行為になっているのだと思います。一種の過食症みたいなものかもしれない。)

当然、古今東西の英語学習本、ノウハウ本、単語集から文法書、気のきいた本であれば片っ端から購入して、積んどく本棚の肥やし状態。

そんな私が、最近いいなと思い始めているのが、音読です。

やはり、昔の人が言っている 素読百遍自ずと通る というのは本当らしく、少々怪しかろうが、声に出して本を読むのが一番みたい。

つらつらと考えますに、英語を学習する、使えるようになるというのは、頭の中に英語を使う自分を新たに育てるということに他ならないわけで、英語でものを考えない限り話すことなどそもそも出来るわけがない。
ところが、内向的、内省的な私は、実は内面的には相当なおしゃべりなのではと疑っている。
つまり、私の頭の中には饒舌ななんでもコメントしたがる、鍛え上げられた”日本語を操る”自分が居るわけで、いつまで経っても英語の回路が出来てこない。
英語で文章を組みたてようと頭の中に描いたイメージに英語をあてはめていく、というプロセスを経て、英文が出てくるはずですが、そこで英語を組み立てるまえに、情景の描写から、使用する単語にまで蘊蓄、コメントをしかねないおしゃべりな奴が住んでいるわけで、いつまでたっても英語力は鍛えられないということになります。(ちょっと走るとすぐ転んでしまう補助付き自転車みたいなものかな・・)

ところが、音読となると、目は英文を追い、耳は自分の怪しい英語を聞き、口は子音ばかりで攣りそうになりながら英語発音と格闘していて、更に優しい英文であれば、情景・状況を思い浮かべているわけで、初めて英語の世界で頭が支配されることになるわけです。極めて強力に日本語が頭の中からパージされる感じです。

また、素材を選べば正統派の英語文章のリズムに則って心地よく進められて、しかも文章が平易だったりするとわかって読んでいる感が自分を後押しするわけです。

似たもので映画を覚えましょうというのがありますが、あれよりも多分音読の方が自分にはあっている。
(のだめがぷりゴロタのアニメでフランス語を覚える設定になっている。私の知っている人はカサブランカで覚えたらしい)
そういえば、シュリーマンも音読方式で何ヶ国語も覚えたらしい。プラトンと話す自信があると言ったそうで、やはり、効果・効率は高いみたいだ。

どこまで、上達するかはわかりませぬが、音読が良いものだということが改めてわかった次第。
勿論、正しい発音やイントネーションを身につけるために、少し早目の正しい英語を聞き続けるというのも大切だと思うので、音読だけ というのではないですよ。
ただ、なんとなく、効率のよい正しいトレーニング方法がわかった気がするのです。

あとは、英語が使えるようになるだけさ・・・