ホーム » 世の中のこと (ページ 10)

世の中のこと」カテゴリーアーカイブ

過去投稿一覧

ジャンル

悪代官(殺処分によせて)

時代劇では、悪代官は正義を捻じ曲げて、袖の下を要求する利権に汚れた悪人だ。
”越後屋、そちも悪よの~”というセリフとともに、黄金色の餅を賄賂としてうけとる姿が典型として描かれている。(勧善懲悪の懲らしめるべき悪として・・・)

ところが、実際の悪代官(農民一揆の原因になった役人)というのは、実は、定められた規則を厳格に適用しようとした”真面目で融通がきかない”代官だったという話を聞いたことがある。
(とすると、まじめで職務に忠実な善人が悪代官なんだな、これが・・・)

元々、民に厳しく公に厚い税制になっていたのを、規則通り、きちんと”事情を考慮せず”法を適用した堅物が悪代官。 それにくらべて、下々の事情に通じて、規則は規則、でも・・・と柔軟に、悪く言えば目こぼしを率先しておこなったのが名代官で、その違いは、”大人の対応”ができるかの違いだったらしい。

特に、豊作が続いていればそれでもまだ良いが、天候不順で作柄が悪くなったりしたら、とたんに所定の税が収めれなくなり、”真面目に必要な税を徴収”した代官は血も涙もない、人民の敵になってしまう。

今回、宮崎で民間の種牛が殺処分になった。
どう考えてもこれは、”法に従わねばならない” という悪代官の所業に見える。
法を守るためには、一つの産業を窮地に追い込むことを是としているようにも見える。

今回の口蹄疫ではっきりしたことは、和牛における種牛の付加価値の高さだ。
日本全国のブランド牛が実は宮崎の種牛に多くを依存していたという構図が明らかになった。
松坂牛も近江牛も、多くは宮崎産の子牛を購入・育成していたという事実は意外でもあった。
少しでも、産業を保護するために種牛を確保するために動くのが、日本のあるべき農政だったと思う。
が、しかし、結局宮崎にはスーパー種牛といわれる数頭が残っただけだ。
産業としての和牛生産は崩壊に追い込まれたといえる。
(それで、今後安い外国産牛肉が入ってくるという外国におもねった策略だとしたら、頭が単純すぎると思うぞ)

今回は、超法規的に、例外として国が没収して、影響のない僻地に移動・隔離すればよかっただけの話だ。

それが、民間保有の種牛に対しては、”お国の命令を守らなかった”からという見せしめと、国と県のメンツ争いにレベルが落ちてしまったように思われる。

その結果、産業の基盤をたった数頭に集約することになり、多様性の観点からは極めて危険になったといえる。 (そうならないという、裏の事情・自信が一方ではあるのかなとも思うが)

東国原知事も情けない。 国に代執行させれば良かったのだ。
不正義は国にあると、後世の歴史家に問うという姿勢がなければならぬ。
今まで有効な手が打てていなかったのだが、最後もアリバイ闘争に終わった感じだ。

改めて考えてみると、今回の問題というのは、口蹄疫に対する法律の作り方が、ほとんど無価値の家畜を前提としていたために、法の適用があまりに大きな損失を発生させるということを想定していなかったのではないかと思う。
鶏何万羽というのに感覚がマヒしているかもしれないが、所詮は出荷して幾らという金額で保障ができるという前提で法律が作られているように思う。
ところが、その対象に、将来の和牛生産を担う”芸術品”が含まれていたために、大きな齟齬が発生したのだが、そこで行政の思考が停止してしまった感じだ。

良くはわからないが、損害賠償を本気で農家がした場合にどうなるのだろうか。
アメリカなら、敏腕弁護士が大挙して宮崎県の農家に押し掛けて、法廷闘争が開始されているに違いない。普通に考えても、1頭で数億の賠償金を請求することになると思われる。
(法律だからと言われれば、”その法律を作った”農林水産省や厚生労働省が訴えられる。)

本来、人が作る法律に完全はあり得ないのだから、そこで、起きた事態に”対応・適用”が求められて、それが政治の力だと思うのだが、今回は、結局、みんな規則を墨守するだけの悪代官ばかりだったのかなと思う。

思い返せば、日本がここまで良い国になってきたという近代史を振り返ってみると、国をリードする高級官僚のありかたに思いが至る。

密な人間関係を構築して常に落とし所を考えて、関係者のすり合わせをして絶妙なさじ加減ができるのが”上級”公務員というのが、日本的な官僚(公僕)のあるべき姿だった。
上級公務員というのは、そういった”人物”が評価されて、その更に上に、人間力に優れた政治家が君臨するというのが、戦後日本の政官のあるべき姿であり、ある程度は機能していたと思う。

それが、昭和が終わり平成にはいるころから段々とおかしくなってきている。

この話は、人物が揃っていた明治の御代は、制度の不備をうまくカバーして、日清・日露の大戦争を戦い抜き、一等国へ昇りつめた大日本帝国が、人物を失うことで制度的欠陥を露呈して、大破綻に陥った昭和の大敗北のストーリーと妙に似ているのが気になる。

ただ、軍隊は外国と戦って負けて解体という分かりやすい終末があったが、官僚組織の末路というのは、なにが起きるのだろうか。予測が難しい。
ただ、終末は近いと思うのだ。

そういえば、公務員が人気商売になって、いかにも”真面目な”お役人が増えるというのは、考えてみれば、悪代官をどんどん増やしていることになるのだな。
学生の就職先で人気になった企業・業種、東大生が多く行く会社は没落するという大法則があるが、今回も外れは無いように思われる。