ホーム » 2009 » 7月

月別アーカイブ: 7月 2009

ジャンル

何がしたいんだろうね・・・

中田市長が辞めちゃった

何がしたいのだろうか・・・

次の参議院選挙か同時に打たれるであろう衆院選挙に出るつもりかな。
それまでの数年で、自民もだめだけど、民主もやっぱ駄目だった・・・大混乱 という状況で、第3極として保守党でも立ち上げるのかな。(日本真党とかだったりして)

だとすると、相当に策士だし、度胸もあるよね。

そのまんま東の醜態をみて、次の市長選に出たら4年は辞められないと悟ったかな。

時流を読む目と、上手なプロパガンダ(G30なんか上手いよね)、それなりに官僚をコントロールする行政手腕、そしてなにより、どう見ても悪人の面構え。
どこをとっても、一流の政治家ですね。(褒めているのですよ ^^;)

横浜市民としては、選挙のねたが増えてよかったとしましょう。
選挙費用もだいぶ浮くはずだから、経費節減には少なくとも貢献して頂きました。

前職の高秀さんは箱物ばっかり+横浜フリューゲルスを簡単に潰すなど、ダメダメだったから、若くてとても良かったですよ。
(顔は置いといて)大きな問題も無かったし、辞めるにあたり、一市民としてお礼を申し上げます。
変なことをしなかったというだけですごいことです。
(小さいときに、学校の先生から飛鳥田一雄をたたえる内容のパンフレットを教育された過去を持つ身としては、特に。)

次はどんな人になるんだろうね・・・ 横浜の市長は大変だと思うぞ。 日本最大の市の長なわけだから・・・

残念な快著 「落語論」

週刊文春を愛読している。
毎回必ず読むコラムは、1に先崎、2に堀井のずんずんとなっている。
いつも、ディズニーランドはどこが混んでいるとか、ドラマはどれが当たりだ、今一だと、
とにかく、どうでも良いことを普通でないエネルギーをかけて調査・発表していて頭が下がる。
この人は一体、何者なのかとず~っと思ってきた。(昔、日テレのマンボウにも出ていたっけ・・・)

で、どうやら、落語に魅せられた落語家にならなかった御仁であることが分かって来た。
(最近は、名古屋の方の、観客数名の演芸場を連採している。)

そんな堀井氏が、実にストレートな ”落語論”というタイトルの本を出した。

この本は、画期的な本です。

何が? 

従来とは異なる視点から”落語”の本質に迫っている点です。
・ライブとしての落語
・音声芸術としての落語
この2つを柱に、落語の巧拙を論じています。

CDやDVDによって記録されたものは、過去に生を経験したものが記憶を呼び戻すことに価値を認めるが、
本来のものとは異なると切り捨てています。
演目(特にテキスト)さえも否定的に扱っています。(あんなものは、落語家の符丁だと)。
毎回毎回、演者によって違うもので、同じものは一つとしてない、またそれが正しい姿だとも。

返す刀で、従来の落語評論を切り捨てる。 オチの形で分類するなど、落語を分かっていないと。
(そういう話をする奴からは、逃げろとまで・・・)

その一方では、多分今迄誰も触れていなかった、音楽としての落語の技術論、
声の高低のありかた、リズムといったところまで踏み込んで解説しています。

ただ、残念なことに、密度が濃いのは前半までです。
あとがきにもありますが、非常に短期間に書かれたようで、後半部分は冗長で観念論的すぎて、読みにくいです。

根本には、落語が好きで好きで、”何故好きなんだろう”と考えながら、いつか書きたいと思っていたテーマなんだろうなあ。
そんな、熱をヒシヒシと感じます。

堀井さんに同じような新書に、”落語の国からのぞいてみれば”という本もありますが、
あのような親切な読者を意識したガイド的な本と思って手にすると、裏切られます。

読み終わって、落語とクラシック音楽って、やはり似てるのかなと思いました。
オチを含めてストーリを全て知っている落語で笑う(魂を揺さぶられる)のと、
クラシックの名曲を暗譜するくらい聴いた曲でもまた聴けば感動するのと、根は一緒かなと思ったりもします。

ただ、ちょっとというか、相当原理主義的な、極端な論を展開している堀井さんが、
これから普通に芸人さんと付き合っていけるのでしょうか・・・それが心配です。
(そうか、それで名古屋の場末を取材しているのか・・・ (^^;)

【今回の本です】

落語論 (講談社現代新書 2007)
堀井憲一郎
講談社

このアイテムの詳細を見る

【おまけ】

落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)
堀井 憲一郎
講談社

このアイテムの詳細を見る

DECを知らないとは・・・

私が愛用しております、Podcastの番組、新刊ラジオ でのお話です。

有名な、デービット・カトラーによる Windows NTの開発秘話を紹介していたのですが、 矢島さんが、DECが読めなかった・・・
”ディーイーシー”は無いでしょ・・・

でも、仕方ないのでしょうね。 DECもCompaqに吸収され、CompaqもHPに吸収され・・・と紆余曲折を経ているので、少し古いIT業界の情報に触れてない人にとって、DECは、良くて12月という程度なんでしょうね・・・
かつて、ミニコンという業界があった・・・
かつて、Excellent Companyという本がありそこに、Digital Equipment Corp. が大々的に取り上げられていた・・・

まあ、直接の関係者ではありませんし(微妙に)、学生の頃、PDP-11を少し使った程度ですし、腹を立てるほどのことでもないのですが・・・

正直、時の流れの早さに驚いています。

まあ、Podcast自体は、ものすごい数のクレームが届くと思うけど、(届かないかも知れないけれど)、それは、どうでも良いことです。

中で今の若者は、5インチのFDを知らないという話もあったですが、そのうち、FD自体が忘れられるんだろうね。(8インチも、パンチカードも、紙テープに、”コアメモリ”まで知っている私としては・・・自分が博物館に展示されている気分)

でも、正直 びっくりしました。

世の中の構造の不思議

世の中のつくりになんとなく同じような構造があると思う。
はっきりと分かる世界を広げたり、拡大すると、もやっとして、べたっとして、よく分からない曖昧で複雑な世界になるというものです。

① 有理数と実数
整数からスタートして、割り切れる世界、有理数 ・・・
ところが、√2と言った割り切れない数の世界があって、どうやらそちらの方が多いらしいという話になる。
連続体とか、実数といわれる世界で、数直線で表現されます。
(ギリシャ人は実数の存在に気が付いて、”幾何”で数学を構築したって、知ってました?)

② 管理範囲と手法
一つ、二つは分かるけど、数が増えてくると良く分からなくなり、統計的にしかものが言えなくなってくる。
例えば、小規模プロジェクトでは、担当者一人ひとりを仔細に把握することができるが、規模が大きくなってくると、%による予実管理がやっとになってくる。
(視聴率や選挙の予測など、なんであんな少ないサンプルでよいのか・・・) 

③ 物質の根源
元素を組み合わせて物質は出来ている。これも、数式のようにキチキチと反応式を書くことができる・・・
しかし、素粒子まで行くと、不確定性原理やら、1/3の電荷をもって分離できないクォークとかになってくる。

④ 意識と無意識
人が人であることをデカルトは”我考える故に我あり”とのたもうた。つまり、自分で把握・理解している意識の世界がある。
しかし、その意識世界は、膨大な無意識の上に浮かんでいて、わずかにスポットライトがあたっているところらしい・・・

⑤ スキルの評価
若手の育成は簡単だ。 あれが出来て、これが出来ない、これを知っているといったことが点数化できる。
しかし、段々ベテランになってくると、なぜこの人が優秀か、そうでないかを判別する尺度が複雑になってきて、結局一緒に仕事をしている信頼できる人の評価が一番正しかったりする。
(そのため、ITSSのようなスキル評価システムは中程度以上になると評価テーブルを無理に作るので、良く分からない混乱・混沌としたものになってしまう。)
上位マネージャーになってくると、評価方法も売り上げなど、結局組織全体の結果でしか判断できなくなる。

と、まあ、全くことなる分野で、”見えて”、”分かりやすく”、”全てを把握”できるクリアな世界のレベルを掘り下げたり、拡大すると、急に複雑で、予測ができず、全体でしか評価できない(違う尺度・視点での評価が必要)レベルに到達するようだ。
単純明快の先に複雑・混沌の世界が待っている といえる。

また、この単純素朴と複雑怪奇。 このレベル間にはかなりの断層があるように見える。
その良い例が、シュレディンガーの猫。 あの猫は、生きているのか、死んでいるのか・・・
ひょっとすると、集合の集合を考えると矛盾が起きてしまう素朴集合論と一緒で、考えてはいけない(ルール違反?)の命題なのかも知れない。
(我ながら無茶苦茶言ってますな)

この良く分からない複雑な世界に気が付いた時から、その分野の学問の爆発的発達が起きていると思う。(量子力学の分野が、例えばそうです。)

① 最初は従来の方法で1つ1つの要素を追いかけて、何故分からんのか・・・と悩む時期。
② 次に、これは従来の考え方では理解できないのではないか・・・と気付き始める時期。
③ そして、全く違う尺度、考え方で全体を理解する時期。(この時期になると、見れども信ぜずと考える人が多くなる。)

#今は、脳科学がこの第2ステップにかかっているのかな・・・

(複雑系とか、正反合の弁証法とかって、こういった問題をあつかっているのかな?
だとしたらすごいと思うけど、ヘーゲルとかは読むのだけでも大変だ・・・)

なんとなくですが、この世の中は、単純系と複雑系の階層があって、その複雑系は分離ができなく”ぺた”っとしている・・・ という構造になっているのかなと思います。

容易ならざる

もう少し前のことになってしまったが、大リーグのオールスター戦があった。
いつになくハイテンションのイチローばかりが話題になった感じだが、ワールドシリーズのホーム開催権をえさに、ガチンコ勝負にしたために、今回も面白みのない、地味~なシリーズになってしまった。(期待のウェークフィールドも投げなかったし・・・”キャッチャーのパスボールが決勝点”を期待していたのだが・・・)

そこで、小さな話題だが、久しぶりの大統領として始球式に登場したオバマが、用意されたユニフォームを拒否して、ファンと公言しているホワイトソックスのジャージ姿で登場したいう話が載っていた。(さすがに、その姿にブーイングが浴びせられたと記事にあった)

融和と対話を掲げて登場してきたオバマではあるが、その本質は、妥協をしない信念の人であることを、このエピソードは示していると思う。
日本の政治家のように、”先生こちらを用意いたしました”と言われれば、関係者の気持ちを察して、波風を起こさないように、”たいしたことではない”ことは、周囲に合わせて丸く収めるのがならいとなっている人たちとは、根本的に違う。

これは、たかがユニフォームの選択ではあるが、同じ行動原理で外交も内政も行うと考えたほうが良い。
つまり、”妥協はしない”のだ。
オバマが言っていること、取り組んでいることは”本気”と考えたほうが良い。
そして、達成するためのプロセスを着実に踏む”実務能力”も持っている。
今は、各方面から意見を聞いて、方針を固めている時期だと思うが、これから、色々容易でないことが起きることを覚悟する必要があると思う。
(同盟国だからと安心してはいられない。)

ぶれてぶれて、全てが腰砕け、ついに歴史ある自民党も消滅させようとしている総理大臣を戴いている我々からすると、対極にあるリーダの姿だ。

ただ、どちらが幸せか私にはわからない。

日食で分かった選別

もうすぐ日食です。
その日はお休みを取って、子供と一緒に観察の予定です。
ダイエーで中継があるというので、阿久和のダイエーに行こうかなと考えている。

最近、やっと中継をするダイエーの店舗が発表になった。
ダイエーが無くなっても最後まで残るだろうという東戸塚店は勿論、阿久和店(元Dマートといった方が通りがよいかな、うちの地元では)も、めでたく残りました。
その一方、Laoxにも逃げられ(?)、どうするんだろうという戸塚店は落選です。
こんなところに、経営層の考えていることが透けて見えるきもします。

まあ、あまり天気も良くないという予報も出ているので、あまり期待はしないで、買い物がてら、夏休みのイベントとして参加しましょう。

そういえば、ポケモンの映画を昨日、海老名に見に行ったけど、なんだか段々話がややこしくなってきていて、これで子供達面白いのかいなと思ってしまった。
話も、無理やり、今回の日食に合わせたようで、厳しい内容だったね~。
息子もそろそろポケモン卒業かな~・・・(今はドラクエに夢中です)

まだまだ21世紀も始まったばかりなのに、今世紀最長とか言われている日食です。 子供の頃は20世紀が終わるのがず~っと先だと思っていた私にとって、21世紀というのでさえ信じられないくらいなのに、今後100年以上ないチャンス(?)というのだから、驚きです。
でも、本当は、過去から未来の日食を全て計算してしまうことの方がすごいと思うのだけれど。(典型的な三体問題ですよ・・・)
そのおかげで、卑弥呼の時代にあった日食が天の岩戸伝説につながり、それから邪馬台国の場所と時代が決められるという議論まで出てくるわけで、日食の予測というのは、あまりに当たり前になっていることが実は結構すごいことだと思うものの一つだ。

よりによって、こんな時期を選んで解散を打つというのは、もう”神業”としか言えない。まあ、自民党の葬送には、最適なタイミングかも知れませんが。

奇跡の仕事術(手塚治虫)

少し前に、BSで手塚治虫の特集をやっていた。
その圧倒的な仕事量にまず驚いた記憶がある。(確か、300タイトル以上だったと思う)
壁一杯に作品が展示されていて、スタジオが手塚作品で埋め尽くされていた感があった。
全く違う話をそれだけ作り上げたというのもすごいが、純粋にそのVolumeに圧倒される。

その仕事量を実現するためには、同時に5社6社の連載を抱えて、締め切り前(過ぎ?)には担当者が傍らで原稿作成順を協議して、各社1ページずつ作ってもらったという凄まじい状況もあったみたいである。
絵を描くスピードの速さもすごいが、構想を固め、合間に海外旅行も組み込み、隙をみては映画を見に行くという、殺人的なスケジュールをこなしている。
(何事にもInputを心がけないとOutputは簡単に枯渇するので、それをとても高いレベルで実現していたのだなと思う)
10分・15分の仮眠をいれるだけで、連日の徹夜も日常だったようだ。
アシスタントを使って、極端な場合、構想を電話口で伝えて描いてもらって締め切りに間に合わせるといったことまでやっていたらしい。
その作品も1話読みきりの32ページといったボリュームのものも多い。
後世の人は、手塚治虫というペンネームの作家集団がいたのだという説を唱える人がでてきてもおかしく無い。(ブルバキのマンガ版といえば分かる人にはわかる)

昭和というと、最後に 美空ひばり、石原裕次郎、そして手塚治虫が相次いで亡くなり、時代が変わったという感を強くした想い出がある。
(直接には、正月休みに、見るテレビもなくなり、ビデオレンタルのストックも無くなったという騒動と、霙交じりの大喪の礼に仏大統領ミッテランが来ていたことが思い出される。 亡くなった小渕さんの”平成”の額を掲げる姿も・・・こちらは、最近、別の面で脚光を浴びたな。 DAIGO のおかげで・・・)

物心ついたころから、ずっと見てきたマンガの作者だから、当時は手塚治虫って、相当の年だと思っていたが、享年まだ60歳、今となっては短い一生だったのだなと思う。 そして、あんな仕事のやり方をしていれば、長生きはできんだろうとも思う。

そんな手塚の仕事の仕方、追い込まれ方、工夫が詰まった本が、「手塚先生、締め切り過ぎてます! (集英社新書)」です。
漫画家を目指して上京、なぜか編集担当者になって手塚の原稿を早く手に入れるために手伝っているうちに、最後はチーフアシスタントになってしまった福元さんの本です。
エピソードも面白いし、すぐそばに居た人だけに、普通ではないことが、”淡々と”語られています。

私の業界も、滅茶苦茶なスケジュールで超人的な仕事量をこなしている人たちが沢山いる業界ですので、共感というか、参考になることも多いです。
日本の企業さんでは、末端で壊れる、亡くなる方が多いと思いますが、外資ではえてして、中堅以上、本部長クラスで倒れる方が多い気がします。 まあ、いずれにしても、過酷な状況を普通と考えている業種なのでしょう。 よく今迄生きてきたなと、最近思うです。(結構、タフなんだな私・・・ 弱いけど)

そんな中に身をおいて、全身全霊を傾けて何かをなさねばならないのか、自らを見失わず出来る範囲でベストをつくすべきなのか、そもそも働くという意味はとまで、考えさせられました。(そんなことを考える人はそうはいないと思いますが)

手塚先生、締め切り過ぎてます! (集英社新書 490H)
福元 一義
集英社

このアイテムの詳細を見る

前代未聞の

暑い・・・

暑さと言えば、昭和20年8月も暑かったそうな。
”日本の一番長い日”という映画は、何度もテレビでみた。 黒沢年男がまだ若手俳優として活躍していたな~。
阿南陸相が三船敏郎で、鈴木貫太郎が笠智衆だったっけ。

なんか、日本の政治があの頃と同じように熱い状況になってきているかもしれない。
それもこれも、予告解散という前代未聞の選択をした麻生太郎の迷演出があってこそ。
早速、内閣No.2 影の総理大臣と軍事オタクで珍しくも仕事で評価される農相がそろって、麻生おろしの両院議員総会の開催に署名したとのこと。
1週間というのは、何かことを起こすには充分の期間だ。

都議選大敗 → 解散決意 → 公明党の反対で1週間先延ばし → 不信任案の上程と否決(形式的な麻生支持を自民党に飲ませる) → 参院での問責決議案可決により、野党の審議拒否(実質国会の終了) → 両院議員総会開催のための署名が所定数あつまる(らしい)
とまあ、忙しい。

考えられるのは、
① 両院議員総会でリコールが成立しそうになり、抜き打ち解散
② 麻生の罷免と新総裁選出の手続きに入る
③ 麻生反対派が大挙して離党、自民党分裂
④ ぐじゅぐじゅ引き伸ばし、反麻生も力不足で、そのまま時間切れ解散
⑤ とにかく大混乱を受けて、民主党と公明党の大連立が成立、自民党終末
⑥ 両院議員総会で異論続出で、最後にぶれて、解散先延ばし、任期切れを待つ

・・・ まだまだ、ありそうだけど、浅草寺の石畳がめくれる異変があったそうですが、地下の封印が解かれて何かが出てきた、帝国物語の世界ですな。

バタバタ度から言うと、まるで幕末の徳川将軍家のようです。
皆に期待されて登場しながら、肝心なところで逃げ出す軟弱さを歴史に留めた慶喜は、15代将軍のなかで一番任期が短かったというが、
現代の慶喜が麻生太郎か。
自民党の根っこを作った吉田茂の孫が、血筋を評価されて登場とともに幕を引くというのも、悪い冗談のようだ。

ただ、歴史をみると、慶喜の弱腰が、内乱を防ぎ、明治日本の繁栄の礎を築いたという面もある。
しばらくは混乱があるとは思うが、古い体質を引きずった政治体制がガラガラと音をたてて崩れ去り、新しく生まれ変わるためには必要な儀式かも知れない。
現在の官僚体制は制度疲労を起こしていて、何らかの変革が必要なところは、徳川300年の安寧を貪っていた幕末と似ている。

それにしても、小選挙区制は日本の政情には合わないですな。
毎回、ぶれが多すぎて、極端な結果が出すぎる。
日本全国、津軽選挙をやっているようなもので、自分の意見を持った政治家がどんどん消えている。
個人的には、甲子園の予選ぐらいの範囲で実施される大選挙区制度が良いと考えている。
単純に選ぶ候補が多いほうが楽しいということだけだが・・・。

戸塚の祭り

今日は世間ではパリ祭
戸塚では昔から八坂神社の大祭

昔は1号線を止めて、道全体を屋台が覆っていたけれど、最近は区役所通りを中心に、それでも結構な夜店がでて、大変な混み様
(平日だけど、よく人がいるね~)

会社を少し早めに抜け出して、家族と待ち合わせて夜祭
まあ、ものすごい混み方で、落ち着いてものも買えない
こんなお祭りじゃあ、ワクワク感が残らないだろうな~と思う
案の定、帰りの電車から家につくまで、息子はへたってました

まあ、もう少しゆっくり散策できる、地元の祭りに参加するか・・・

#そういえば、お札と言い、パンチボールといい、選んだものは黄色が多かったね
#今年は、黄色のとしかな?

中村俊輔の入団発表に思うこと

中村俊輔の入団発表が大々的に行われた。

出発前に澤登がインタビューをしていた。
結局、日本復帰以外 全く考えていなかったものを、エスパニョールが口説き落として逆転させたということなのだろう。
マリノスの社長の失態がかなり報道されたが、また、それに類したことがあったのだろうと思うが、今回の”失敗”はそういうところではないな。

これをビックプロジェクトの受注競争と考えるとわかりやすい。
現場担当者が長年掛けて、築き上げてきた信頼関係から100%決まりとなっていた案件が、最後の最後に”形式的”な入札で、予想もしなかった外資企業が、キーマンに対するトップアプローチをしかけて逆転受注につなげたという形だ。

結局、好感触に安住して最後の詰めを怠ったことが原因だと思われる。
(これは、開発案件とかではよくある話・・・)
リーダーの危機管理能力の欠如が露呈したのだから、まあ、経営者失格ですな。

優秀な営業やプリセールスのリーダーを見ていると、自他の強みを理解した上で、自分の強いところ、土壌に引きずり込んで、絶対不敗の体制を築いた上で、”駄目”を押す。 自分が弱いときには、一発逆転のチャレンジで幾つも成功を収めている者だからだろうが、勝てるときこそ実に慎重に勝ちに行く。

今回、圧倒的な有利な状況にあったマリノスだが、”エスパニョールに俊輔が断りをいれた”という情報に対して、”これで大丈夫”と安心したのがいけない。

元々、海外進出の夢はスペインでプレーをすることだったと公言していた俊輔が”エスパニョールと接触をした ”というだけで、”危険が危ない”と考えて、次の手を打たなければいけなかったと思う。 囲い込みでも、甘言でも、条件の上乗せでも・・・
焼けぼっくい火がつくという話があるじゃないですか。

交渉の競争相手の本気度も測れていなかったことも敗因。
俊輔がイタリアに移ったときから追いかけていたというではないか。
それが、リップサービスにしても、結局、違約金を支払ってまで、外国人枠をあけて獲得したわけで、そこまで本気であれば、兆候ぐらいはつかめたはずだ。(いつから、マリノスはビッククラブになったのだ・・・)

交渉過程で色々の情報が飛び交って、その内容が色々報道されているが、当然思惑もあり、実際のところは当人達しかわからない。 全ては藪の中だ。
ただ、はっきりしているのは、受注競争にマリノス経営陣が負けたということだ。

”来るのおせーよ”と髭親父 アスカルゴルタの満面の笑顔が目に浮かぶ。