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月別アーカイブ: 12月 2009

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どうぶつしょうぎはすごい!

どうぶつしょうぎが本屋で売っていたので買いました。
早速、嫁と息子に渡して、様子見。

絵柄はかわゆく、ライオンの王様にたてだけのキリン、よこだけの象に歩と同じ動きのひよこ・・・これだけが成れて金の動きのできるにわとりになる。
これだけ、こまがたった4つ。こまには動きをしめすポチがついているので、難しいのは最初にこまを並べるときに、右がキリンということを覚えることぐらい。
将棋と違うのは、王様が入玉したら”タッチダウン”で勝ちぐらい。
ますも、3x4の12ます。

本当に3歳からでもできそうだね。
ところがどっこい、ものすごく奥が深い。

模様の張り方、こまの交換の損得、王様の位置取り・・・とにかく複雑。
油断するとあっさり逆転、すぐに詰められてしまうし、手待ちをして相手に先に攻撃をさせて優位を築くといった高等戦術が、あっというまに出てくる。

感覚的には相手のこまが使えるチェスみたい。

象さんが中央に張り出して頭をぶつけて膠着するのは、ポーンの動きみたいだが、象さんとキリンさんが連携してライオンさんを追い詰めるところは、金銀を使う終盤・詰将棋みたい。
象さんで追い詰めたところをするりと裸の王様が抜け出した時に、隅に王様がいたりすると間に合わなくてトライされて大逆転したり。
象さんが2枚そろうと銀矢倉のように縦・横のフォーメーションで面を支配できるが、銀と違って純粋斜めこまなので、お互いの効きがない状態になってしまい、安易に王手したら相手の王様にあっさり取られて真っ青・大逆転とか・・・

それにしても、すごいものを考えたものだ。

こまの数が少ないので、コンピュータによる完全解析ができる可能性が高いと思うが、このレベルでもできないとなると、取ったこまを再利用できる将棋の複雑さは限りがないことになる。

一勝負も短くて、バリエーションも沢山あって、将棋の面白さだけを濃縮したようなゲームです。
お勧めです。

どうぶつしょうぎ (日本女子プロ将棋協会公認)

幻冬舎エデュケーション

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フットボールの日(僅差の悲哀)

今日は一日フットボールの話題満載の日だった。
(サッカーの日としても良かったが、大学ラグビーがあったのでフットボール)

まずは、ワールドカップの組み合わせ抽選会。 日本はE組。
オランダ・デンマーク・カメルーンと微妙に粒の揃った難敵。
(誰が一番先にいーくみに入りましたねと親父ギャグを飛ばすか・・・現実は厳しい?)
まあ、南アフリカや北朝鮮に比べれば天国さ。

それから、慶応対帝京の大学ラグビー。
勝てば優勝の慶応が前半17点リードしたが、その後FWの力勝負に持ち込まれて、最後の最後に鼻差抜き返されて17-19で帝京の勝ち。
勝った気になったのかな、風上・風下の影響はそれほどなかったと思うが。

最後はJリーグ。
J1は鹿島がV3。 しかし、浦和が崩壊していたので、川崎はノーチャンスだったね。何度かポストが守ってくれたが、技ありクロスにFWの芸術的ダイビングヘッドで鹿島の勝ち。 あの内容をみると、フィンケは何をしたいのだろうか・・・
J2はもっとドラマチック。
まず湘南が2点のビハインドをひっくり返しての昇格決定。
得点の形は万国共通のゴールを横切るクロスとファーサイドからのヘッディング。 最後は力の差かな。 昇格争いの山梨もしっかり勝っていただけに薄氷の昇格劇。
それ以上にスリリングだったのが、J2の優勝。 土壇場で追いつかれて絶望的になった首位仙台に対して、同じく1点リードの状態からこちらは2点を取られてセレッソの負け。全盛期のフランス相手にシュートを決めた西澤の引退試合だったのに、残念でした。(本人でてないと思うが…)

J2の下位には、草津や熊本、水戸や徳島、それに残念ながら横浜FCと地方色も豊か。

決して強豪国ではないけれど、日本には豊かなフットボール文化が根付いているなと思った土曜日でした。

新聞を変えました

ほぼ半世紀、母の胎内のころから読んでいた読売新聞との契約を先月で終了しました。(といっても、実家ではまだ律儀な巨人ファンの父親が読売を購読していますが。)

そもそもの発端は、配達人と犬との相性が悪かった(早朝に過剰に吠えるのは周囲にも申し訳なく・・・)ようだが、対策を考えているうち、途中から”新聞自体”を止めようかという話になった。

よく考えてみれば、新聞を読むという習慣・意義がなくなってしまった。
ひどい言い方だが、新聞はテレビ版と折り込みチラシと”新聞紙”としての価値程度しかなくなってしまっている。
すでにNewではなく、読み物としても今一で、新聞を読む時間と労力があれば、他のメディア、活字にその時間を振り分けたいと思う。
実際、1か月近く新聞自体があたかも存在しないと思って生活をしたが、特に不都合はなかった。(テレビ欄はデジタルテレビが自分で教えてくれるし・・・)

しかし、学校でも新聞を調べるという宿題があるんだという奥さんからのクレームがあって、結局、一番安い朝刊だけの産経に切り替えることにした。
今や新聞業界の一番のサポーターは学校教育というのは皮肉な状況だ。

もう、毎朝、日の出る前に配達をするという勤勉な業態は止めて、読ませるQuality Paperになって日中配達する形にした方がよいのではないかな。
少なくとも、お父さん向けには、分析記事・深い記事が増えないと厳しい。

一方、チラシは確かに、とても素晴らしいメディアだ。
ローカルで価値の高い情報に満ち溢れている。しかも、インターネット以上にニーズを抱えているターゲットにきちんと届いている。たまにクーポン券がついていたりする。 なにより、擬似的ウインドウショッピングができるという楽しみもある。
購読料金の半分ぐらいをチラシの配布と考えてもよいかもしれない。
ただ、本来はチラシを作る側がお金を出すもので、無償が当たり前だ。
チラシだけを配る無償のサービスもあるみたいだ。

1部 130円と考えると安い気もするが、月4000円というのは高い気がする。

どこまで行っても新聞のビジネスモデルの将来は厳しい。

無能な政府と言われるけれど・・・

経済状況が悪く、マニフェストも守れなくなりそうだったり、新しいやりかたが定着せず、混乱ばかりで成果が出てない・・・
民主党政権の混迷ぶりが経済不調の要因とまで言われている。

うがった見方かも知れないけれど、無能な政権でも運営できるように国家の仕組みを作り直している最中なのかも知れない。

今までの自民党政権は官僚とタッグを組んで、精密で効率的な中央集権システムを作り上げた。 その結果、”特殊な”政治家と官僚でなければ国家のかじ取りができない、複雑なシステムになってしまい、制度疲労が出てきても修正をするのは容易ではない状態になってしまった。

既に、メンテができなくなったシステムは、捨てて作り直すのがシステム開発の王道だ。 日本の政治システムも同じじゃないかと思う。

そこで重要なのは、”誰でもできる”ようにシステムを作り直すことだ。

何十年も役人という専門家として過ごしてきたベテラン官僚と親子3代の家業として築きあげた地盤・看板で若くして政界デビューをした政界の重鎮で国家を運営するというモデルは人材の枯渇と経験価値の劣化・棄損に直面している。
もう、こんな複雑な国家を従来の方法でかじ取りをできる怪物は居ないし、期待もできない。

そうなると、官僚も政治家も、あまたある職業の一つとして、キャリアの選択の一つとして選べるようにしないといけない。
さすがに、官僚をそのように変えるのは急には無理なので、まずは政治家からということになろう。
今後は、色々な業種から政治家へのトラバーユが増えるのだろう。

能力(理解力、発想力、コミュニケーション力、体力・・・)があっても、知識と経験が不足している政治家がトップを勤める時代がやってきたということだ。
(今までは、タレント議員ぐらいだったが、これからは出身の職業にバラエティが増えるに違いない。)

従来の尺度や視点で考えれば新しいタイプの政治家は、みな無能だ。
しかし、無能な政治家(昔とは意味が違う)を使いこなせない国家のシステム自体が間違えているのだ。

ゴールはどうなるのか、私にはわからないが、少なくとも、現在のように中央集権的で強大な権限をもって、国がリードするシステムではないということだ。

かつて、東アジアの安定とともに、国家の中枢が席次・昇進争いと歌舞音曲に明け暮れた藤原摂関(無能)政治によって、地方の独立・武士政権の誕生という歴史を日本は持っている。
国が無能になれば、地方が、自分たちが、生活を守り、生きていかなければならない。 本来やるべき人ができなければ、自分でやるだけだ。

ローマが滅んで諸侯による封建中世が出現し、摂関政治が源平武家政権を生んだ。
芸術的中央集権国家が衰退すれば、地方分権の群雄割拠の時代がやってくるのが歴史の常道だ。
再び封建時代がやってくるのかも知れない。

大きな政府を望んでいる左より(労組依存)の民主党が、結果的に小さな政府の実現に貢献するというのは皮肉なものだが、世の中というのは往々にしてそういうものらしい。