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気分をかえてみました

大したことではありませんが、テンプレートをかえてみました。
たけぱぱだからといって、竹林をモチーフにして、両側に色々のアイテムを並べると、やはり見にくい。定期的に背景を変えてみるのも良いのかなと思っています。

あまり年齢のことは関係ないと思うのですが、昔はアルチュール・ランボーやアーベル、ガロアといった若き天才や、大宰治や芥川龍之介といった作家、ショパンやシューベルトにモーツアルトといった風で、みんな40歳前に人生を終わっている人たち(20歳そこそこもいますが)と自分の年齢を比較して、自分の大器晩成ぶりに落胆していたものです。
それが、同世代のスポーツ選手がほとんどいなくなり、ついに織田信長の本能寺の年齢になってしまいました。(あちらは数えかな?)

人生は生まれた日から、人生の最期に向けての旅をスタートしているわけで、余命という意味では、みな平等に削られているわけですが、流石にそろそろ残されている時間を意識しないといけないようになったかなと思います。(この歳で、やっとそう思うのが逆にすごいと思うのですよ、正直。)

若い時は、できること、経験は限られていますが、無限の可能性、ポテンシャルを売りにできました。 でも今は、積み上げた引き出しからどれだけ使えるものがでてくるか、という状況なんですね。(そういうものに、とらわれていても意味がないのですが、ここはひとつとらわれてみましょう)

沢山のことを達成するのは若くないとやはり難しいようです。
できることは限られてきます。一日に1つか2つです。 それで、結果を出し続けるためには、知恵と諦めが必要ですね。 できることを限っていくのです。 できないことを諦めるのです。 やればできるものは、やらないからできないのです。

結構、人生って単純なのかもしれませんね。

やったからできたことが積みあがって、結構な山になっているではありませんか。
効率よく、一生懸命高く山を作った人もいますが、そうでない人も、生きてきた歴史分の何かがあると思います。
死んで、自分の一生を振り返る時がやってくるとしたら、死出の旅路は楽しみなのかも知れません・・・ って、変な感想を持ったのも、久しぶりに米朝さんの地獄八景を聴いたからかも知れません。(もう生では聴けないでしょうね)

持っているCDの登録作業がかなり進展してきていて、もうすぐ900枚程度で完了する予定です。 我ながら、いろんなCDを持っているなと思います。 総てを聴きなおすというのも、結構きついものがありそうです。 それでも100GB程度なんですね・・・。

昔の皇帝が権力の総てを傾けて手にしたものよりも多くの情報・英知・芸術が手元にあります。 そう考えると、とても幸せな時代に生きていると思います。
もっと言うと、今の若者に比べても、色々なものが作られてくる過程を同時代的に共有しているので、物事をブラックボックスで見なくて済む幸せな時代に生まれたものだと思います。(なにしろ、私が勉強を始めた頃はメモリーの単位はKBでしたから・・・)
破壊される前の自然の中で生まれ育っていますし(裏山であけびをとったりしてましたよ)、学問の分野でも新しい発見、フレームワークの展開をいくつも見てこれたし、塩野七生さんのローマ人の歴史 も完了を見届けられたし。幸せな人生をおくっていると思います。

日本のジャーナリズムは、何故か不幸だ不幸だとお題目を唱えていますが、ちょっとだけ視点を変えるだけで、日本は幸せの国だと思う次第です。
鳩山さんが色々とたたかれていますが、大衆運動の一つも発生していないのは、少々問題があっても、日本という社会はびくともしないと、みんなが考えているからではないでしょうか。 無能な(本当はどうか知りませんよ)リーダを擁くことをみんなが許容できる豊かな社会に生きていることを本当に幸せに感じます。

右肩上がり成長と拡大の時代が終わって、停滞だけど豊かな中世がやってくるのだと思います。人それぞれに幸せの尺度が異なり、違った幸せをみんなが享受する時代がやってくると良いなと思います。まあ、最低限、生活ができないといけないのは勿論ですが。