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月別アーカイブ: 7月 2010

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人事権のない内閣?

参院選が終わって、民主党が大敗北を喫した。

小沢憎しでの路線急旋回の失敗なのか、いつも立派なことを言ってるならやってみろという傍観作戦による策略だったのか。

選挙前のコメントです: 負けたい民主党

全国で票を積み上げて、複数擁立で望ましくない左よりの候補を蹴落として、あとは菅直人の登場効果で圧勝のシナリオに乗っていた選挙を、最後に逆風を菅直人自らが招いて1人区で負けての敗北。
このまま前幹事長のシナリオ通りに勝ってしまったら終わってしまうという勢力が必死に首相によるテロを敢行したというところか。(ただ、微妙に負けるのは難しく、思ったよりも大負けして、どうしようと右往左往しているというところかな・・・)

ただ、今回の選挙結果で一番驚いたのが、千葉法相の続投だった。

どう考えても、法相に不適格と国民に判断されて落選に追い込まれた(すくなくとも、神奈川の民主党支持者では2番目の評価しかもらえなかった・・・)というのに、9月まで続投だそうだ。
しかも、本人も辞意を伝えたというから、選挙に落ちて、辞めたいと言った、”ただの人”を、法をつかさどる番人に据え置くというのは、普通に考えるとおかしい。

ただ、民主党、特に今の内閣では、大臣の交代・更迭が難しい構造になっているのかなと思ってしまう。
鳩山内閣総辞職でどれだけ一新されるかと思ったら、ほとんど自分の抜けた空席を埋めた程度で、ほとんど改造をしなかったのが菅内閣の発足だった。
政治の継続という意味では、頻繁に大臣が変わるのは望ましくないのかも知れないが、それにしてもだ。

確かに、大臣になりたいリストが既にあって、派閥からのプッシュがあって、限られたなかで選択をしてきた自民党政権に比べて、政治主導を掲げて、大臣・副大臣と複数で行政にあたる体制は元々政治家の数が必要な上、経験者や”準備”をしてきた人が少ない新しい政権であるから、簡単に首のすげ替えが難しいというのもわかる。大臣の資格が当選回数ではなく、本人の行政能力となると、適任者のハードルが高くなって、”適当な人がいない”ということもあるだろう。

ただ、政権にとって人事は一番の武器であるのだから、これを行使しないというのは職務怠慢にも見えてしまう。なのに、人事を断行できないということは、菅直人はその権限を実は持っていないのではという疑いを禁じ得ない。

新しい政権だから人事を調整する仕組みができていないことかもしれない。
調整機能がまだ有力者個人の能力に任されている状態で、それこそ小沢しか何も決められない内閣なのかも知れない。

しかし、選挙で落ちた大臣の更迭もできないような”硬直した”内閣が、外交をはじめとした臨機応変の対応が求められる行政の場で、意志決定のスピードが遅すぎて問題を大きくするという可能性があることが一番恐ろしい。

とはいえ、自民党政権がどうだったかということを考えると、我々は行政・統治能力が劣ってしまった政治家と制度を抱えているという現実を直視しないといけない。
ジャーナリズムは、いつでも危機 だが、その結果、日本の社会は安定と豊かさを手に入れた。
しかし、トップがマヒしても生きていけるだけ余力・体力があるのか、問われていると思う。

霊能力って・・・

久しぶりの書評はマンガです。

視えるんです。 実話ホラーコミックエッセイ (幽ブックス)
伊藤三巳華
メディアファクトリー

まず、絵が面白い。主人公と関係者の可愛いキャラクター化された表現と、見えてしまったものを描写する場合の劇画調タッチのギャップ。
話も、単に”見えるだけ”という作者の体験をまとめているので、結論とかオチがあまりなく、淡々と語っている。
いわゆる、夏を迎えると登場する”怖い話”を期待すると、肩すかしを食らう。
(そういえば、北野誠も一時期見えるキャラで出てたっけね~)

かといって、怖くないかというと、そうでもない。
特に、見えている時の作者曰く”劇画調”の絵は、結構怖い。(きたないとも言う)
結局、見えるだけで、あまり積極的に霊とコミュニケーションを取ろうとしているわけでもないという著者の微妙なスタンスが、全体のトーンになっている。
そこに、妙なリアリティがあって、自分の隣に、その世界があることを感じさせる力がある。

中でも私が秀逸だとおもったのが、鎌倉に行って、作者が、”花火があがって”、”女性たちが楽しそうに騒いでいる”という明るいイメージを持つが、より能力の高い霊媒師に、それは ”社寺が炎に包まれ”、”女官たちの阿鼻叫喚・断末魔”だという指摘を受ける箇所。
多分、北条氏終焉の地での霊視だと思うが、それだけあちらの世界とはコミュニケーションが難しいということなのだなと実感するところだ。

誰でも、なんとなく嫌な感じ というのはあると思う。そこに何かが居るということのようだ。
でも見えないわけで、各個人によって、感じる力、コミュニケーション能力に濃淡があるだけなんだなと割り切るしかない。

しかし、結局見えないだけで存在する世界があるのだ、と受け入れてしまうと、霊の世界も”日常”として受け入れられるのでは、という気になるから不思議だ。

元々が雑誌幽に連載していたものなので、各話がコンパクトにまとまっていて読みやすい。
お勧めです。

業界の将来

これでも、この業界で30年近く生きて生きている(我ながらすごいな・・・)ので、IT業界の将来について、自分の行く先を含めて、思い悩むことがある。

実は、IT業界というのは、業界としてのくくりが大きすぎるような気がしている。
例えば、製造業でくくって、その将来を論ずるような感じだ。

はっきり言えば、いわゆるIT業界の未来は暗い。
新しい技術が次々と出てきて、多くの人員が次々に投入されて、拡大・右肩上がりのバラ色の未来というのは、90年代ぐらいの話かな。
今は、世間以上のハイパーデフレが進行していて、労働単価もどんどん下がる一方。ハイパーデフレの時代

みんなが漠然と考えているIT業界で元気なのは、AppleやAmazonといった、ITの周辺業界。
しかも、海外のベンダーで、日本にはこれといった商売が無い。

既存の業務・案件はどんどん人が減らされて、大変になるばかりで、どんどん労働環境は厳しくなるばかり。 心身のケアを考えるのがマネージャーの仕事だったりする。(そのマネージャーが危なかったりする)

ただ、この業界の新陳代謝の早さは今にはじまったものではないし、駄目なら新しい分野でチャレンジすればよい。新しい分野は誰もやっていないのだから、今までの経験だって少しは競争優位に立てる要因になるのでは、と淡い期待をもっている。
一番の財産は、何が起きても驚かない(もっとすごいことの経験がある)ことかな。
体力をはじめ色々と落ちてきてはいるが、実際には結構やれるもんだと思うよ。
将棋の世界でも、勝率ボロボロ、引退間近のベテラン棋士も、得意のパターンに持ち込んだり、ここ一番に臨むと、結構トップに勝ったりするわけで、やはり生き残っている奴は、何かを持っている。

と、自分を慰めているが、気持ちだけでも若ければ、今までとは違う土壌での戦いがはじまっているのだから、これからはとても面白い時代に突入したのだと、少しわくわくしてみる。

実際、不安だと思っているのは、”従来の尺度”で未来をみた場合で、全く前提・競争のルールが変わってしまうのだから、心配は杞憂になる可能性が高い。
だから、基本的に未来については、ポジティブに考えている。

ただ、繰り返しになるが、人月を投入して稼ぐようなVolumeビジネスの時代が終わったことだけは確かで、より”本物”が問われる、質の競争に入ったのだ。 だから、IT業界の未来が暗いというのは、多分あっていると思う。
ということで、広い意味でのIT業界、情報と知恵・ノウハウをシステムとつなげて生かす業界はこれからも安泰・拡大に向かっていると思うのだ。

みんなが”ここが伸びる”という業界に身を投ずれば、それなりにうまく行った時代は終わりを迎えて、これからは、”自分にとってどういう仕事か”を考えないといけない時代がやってきたということだ。 自分で考えて、自分で行動して、責任もとる者だけが生き残るのだ。昔から本当はそうだっただが。

悪代官(殺処分によせて)

時代劇では、悪代官は正義を捻じ曲げて、袖の下を要求する利権に汚れた悪人だ。
”越後屋、そちも悪よの~”というセリフとともに、黄金色の餅を賄賂としてうけとる姿が典型として描かれている。(勧善懲悪の懲らしめるべき悪として・・・)

ところが、実際の悪代官(農民一揆の原因になった役人)というのは、実は、定められた規則を厳格に適用しようとした”真面目で融通がきかない”代官だったという話を聞いたことがある。
(とすると、まじめで職務に忠実な善人が悪代官なんだな、これが・・・)

元々、民に厳しく公に厚い税制になっていたのを、規則通り、きちんと”事情を考慮せず”法を適用した堅物が悪代官。 それにくらべて、下々の事情に通じて、規則は規則、でも・・・と柔軟に、悪く言えば目こぼしを率先しておこなったのが名代官で、その違いは、”大人の対応”ができるかの違いだったらしい。

特に、豊作が続いていればそれでもまだ良いが、天候不順で作柄が悪くなったりしたら、とたんに所定の税が収めれなくなり、”真面目に必要な税を徴収”した代官は血も涙もない、人民の敵になってしまう。

今回、宮崎で民間の種牛が殺処分になった。
どう考えてもこれは、”法に従わねばならない” という悪代官の所業に見える。
法を守るためには、一つの産業を窮地に追い込むことを是としているようにも見える。

今回の口蹄疫ではっきりしたことは、和牛における種牛の付加価値の高さだ。
日本全国のブランド牛が実は宮崎の種牛に多くを依存していたという構図が明らかになった。
松坂牛も近江牛も、多くは宮崎産の子牛を購入・育成していたという事実は意外でもあった。
少しでも、産業を保護するために種牛を確保するために動くのが、日本のあるべき農政だったと思う。
が、しかし、結局宮崎にはスーパー種牛といわれる数頭が残っただけだ。
産業としての和牛生産は崩壊に追い込まれたといえる。
(それで、今後安い外国産牛肉が入ってくるという外国におもねった策略だとしたら、頭が単純すぎると思うぞ)

今回は、超法規的に、例外として国が没収して、影響のない僻地に移動・隔離すればよかっただけの話だ。

それが、民間保有の種牛に対しては、”お国の命令を守らなかった”からという見せしめと、国と県のメンツ争いにレベルが落ちてしまったように思われる。

その結果、産業の基盤をたった数頭に集約することになり、多様性の観点からは極めて危険になったといえる。 (そうならないという、裏の事情・自信が一方ではあるのかなとも思うが)

東国原知事も情けない。 国に代執行させれば良かったのだ。
不正義は国にあると、後世の歴史家に問うという姿勢がなければならぬ。
今まで有効な手が打てていなかったのだが、最後もアリバイ闘争に終わった感じだ。

改めて考えてみると、今回の問題というのは、口蹄疫に対する法律の作り方が、ほとんど無価値の家畜を前提としていたために、法の適用があまりに大きな損失を発生させるということを想定していなかったのではないかと思う。
鶏何万羽というのに感覚がマヒしているかもしれないが、所詮は出荷して幾らという金額で保障ができるという前提で法律が作られているように思う。
ところが、その対象に、将来の和牛生産を担う”芸術品”が含まれていたために、大きな齟齬が発生したのだが、そこで行政の思考が停止してしまった感じだ。

良くはわからないが、損害賠償を本気で農家がした場合にどうなるのだろうか。
アメリカなら、敏腕弁護士が大挙して宮崎県の農家に押し掛けて、法廷闘争が開始されているに違いない。普通に考えても、1頭で数億の賠償金を請求することになると思われる。
(法律だからと言われれば、”その法律を作った”農林水産省や厚生労働省が訴えられる。)

本来、人が作る法律に完全はあり得ないのだから、そこで、起きた事態に”対応・適用”が求められて、それが政治の力だと思うのだが、今回は、結局、みんな規則を墨守するだけの悪代官ばかりだったのかなと思う。

思い返せば、日本がここまで良い国になってきたという近代史を振り返ってみると、国をリードする高級官僚のありかたに思いが至る。

密な人間関係を構築して常に落とし所を考えて、関係者のすり合わせをして絶妙なさじ加減ができるのが”上級”公務員というのが、日本的な官僚(公僕)のあるべき姿だった。
上級公務員というのは、そういった”人物”が評価されて、その更に上に、人間力に優れた政治家が君臨するというのが、戦後日本の政官のあるべき姿であり、ある程度は機能していたと思う。

それが、昭和が終わり平成にはいるころから段々とおかしくなってきている。

この話は、人物が揃っていた明治の御代は、制度の不備をうまくカバーして、日清・日露の大戦争を戦い抜き、一等国へ昇りつめた大日本帝国が、人物を失うことで制度的欠陥を露呈して、大破綻に陥った昭和の大敗北のストーリーと妙に似ているのが気になる。

ただ、軍隊は外国と戦って負けて解体という分かりやすい終末があったが、官僚組織の末路というのは、なにが起きるのだろうか。予測が難しい。
ただ、終末は近いと思うのだ。

そういえば、公務員が人気商売になって、いかにも”真面目な”お役人が増えるというのは、考えてみれば、悪代官をどんどん増やしていることになるのだな。
学生の就職先で人気になった企業・業種、東大生が多く行く会社は没落するという大法則があるが、今回も外れは無いように思われる。

中世の復活

何故古代が終わったのかはローマ史学の大テーマだが、経済的には自給自足が可能になった事が大きいと思われる。(必要に迫られて、自給自足になったとも言えるが)

今インターネットの普及とパソコンの発達によって一人の(知の)生産能力が非常に拡大している。

従来であれば組織と言う名の人間ピラミッドが必要であった仕事が、どんどん一人もしくは数人のチームで実現可能になった。
たとえるなら、オーケストラから室内楽に主力が移りつつあるのだ。
表面的には価格低下デフレとして現れているが、根本には人間組織の小粒化が進行しているのだと思う。

統一による市場と生産規模の拡大、流通・交通の整備に伴う行動範囲の拡大がもたらした古代の繁栄が、より低コストでエコな自給自足の循環型社会の中世に移行した様に、再び分権・地域主体の世の中がこれからやってくるのかも知れない。

英国と似たようなことになりました

参院選挙の開票が進んでいて、自民復活、民主退潮、みんな躍進 ということになりそうだ。
まあ、予想通りというか、不人気な現職法務大臣 千葉景子の落選があったぐらいで、想定通りのサプライズ無しの結果だった。(死刑廃止論者なら法務大臣を返上すれば良いのに、短なる不景気顔での職務怠慢にしか見えないのだから・・・)

与党は菅直人の”消費税自爆テロ”によって、過半数確保どころか、議席を大きく減らした形。
一方の野党自民党も、制度上有利な1人区での圧勝で盛り返したけれど、どうも信任されたというわけでもなさそう。
みんなの党が大きく伸びて第3党になりそう。

まあ、参議院なので、この結果が即政権の交代にはつながらないのだが、限りなく小選挙区制に近い選挙制度のもとで、第三極ができるというのは、イギリスに通じるものがある。

大英帝国をマネージするために政治的空白を許さないためという小選挙区制の隠れた狙いをあげるまでもなく、イギリスは短期間で組閣を実現した。
日本は、これから、国会運営のいきづまりが実際に起きてから、党内分裂を含めた政界再編にすすむことになりそう。
時間がものすごくかかるけれど、それもこれも国が安定していて、政治家に求められるものが少ない平和な日本だけに許される贅沢ということかな。

結構重要な選択だったと思うけれど、まあ、結果的にはどうでもよいことだったのかな。
メンツを潰された小沢の動きに要注意!

・・・どうでもよいが、谷亮子はなんとかならんのか・・・

大相撲の闇(組織が崩れる時)

最初は、朝青龍の引退に伴う、仕返し・組織間の暗闘かと思った。
朝青龍は人気のある横綱だったから、ダークサイドでのたにまちもいたはずで、引退に追い込まれたときに、売られたケンカを買った可能性もあるかと思われた。

ただ、最近、賭博容疑で名前があがるのが貴乃花一派であることがはっきりしたことで、理事選挙の遺恨の線も捨てがたくなってしまった。

いずれにしても、対立するグループの弱点を虎視眈々とつけ狙い、スキャンダルで潰すというのは、日本だけではなく、組織間での闘争ではよくある話だ。

貴乃花一派を一掃、地方にすぎない名古屋場所を1回謹慎でやり過ごせばうちらの勝ちというのことだったのだろう。
ところが、身内の論理に浸かっていると、周りが見えなくなる典型で、一度転がった雪だるまは想像以上に大きくなってしまい、今では相撲のありかたを問われる事態に及んでいる。

特に、名古屋場所の中継をNHKが”まさかの”中止(ダイジェストのみ)を決断するにあたり、ムードは完全に自粛モードに突入で、スポンサー相次ぐ撤退、さらに精神的なよりどころだった天皇賜杯の授与見直しにまで至った。 これは、大相撲が“国技ではない”宣言に等しい。
今まで、国技であることを利用して享受していた特権も今後はく奪されるに違いない。
収入も激減、場所も興味本位の一時的なピークはあるかも知れないが、普通にチケットがうれていないそうだ。

まあ、身内の賭博をちくれば、これぐらいの状況になりそうなことが冷静であればわかると思うのだが、その余裕もなかったということだね。それだけ、憎かったわけだ。

貴ノ花vs北の湖 で育った世代なので、大相撲が無くなってしまうとも思わないし、無くなってもらっても困るが、結局、今回表に出た問題点が最終的に解決するまでは、色々とありそうだ。

負けたい民主党

最初、鳩山さんが退陣して、参院選は民主圧勝のはずだったが、菅直人がわけのわからない形で消費税を持ち出して、支持率低迷をきたしている。

物事にはいろんな側面があるが、現執行部が無能でついKYで言っちゃったというのもありそうだ。
しかし、小沢のシナリオであれば、長期低迷していた民主党に起死回生を狙ってリーダーの首のすげ替えを実施。参院戦を通じて衆参での絶対的イニシアブルを確保できるということらしい。

それでは面白くない現執行部が“負けない”程度に負けて、小沢集権マシーンを終わりにしようとしている。
その一方で、小沢一郎は何が何でも目の黒いうちに自民党を崩壊に追い込んで再起不能にしたいと考えているようだ。

結局民主党が勝ってしまえば、準備をした小沢の功績ということになりそうだ。
かといって、薬が効きすぎて参議院が機能不全になることも望ましくない。

そこで、人気の無い”イメージ先行”の消費税増税を取り上げたということかもしれない。
まあ、魑魅魍魎の世界だから、何が真実かはわからないが。

次には、民主党が大勝できず、それでも小沢一派が選挙に勝ってきて、
責任・結果・路線の問題で解決せず、分裂を引きがねに政界再編成
(小沢・公明連合 対 自民・民主 とかになったりして・・)
いずれにしても、政府をあげて”盛り上がらない様に”努力している今回の参議院選挙ですが、
私は勿論投票に行きます。 (^^)v

異次元の戦い(ワールドカップ)

決勝まであと2試合になった。(唯一勝敗にこだわらない3位決定戦の中継がないのが納得いかないけれど。娯楽だけの試合をどうして流さないかな・・・)

準決勝でのスペインの戦いは異次元の戦いだった。
あのドイツが3つ以上パスが繋がらない。
スペインの読みとポジションと動きが良いため、最初にパスコースを制限されてしまい、パスが出ても、もうコースは無く、苦し紛れの精度の低いパスは、3-4人で囲みこんでいるスペインの守備網にひっかかってしまうという極めてロジカルなボール奪取の繰り返し。
一方スペインがボールを持つと、ポジショニングが良いために、複数のパスコースがあり、タッチの差なのだが、パスが通り、無理に飛び込むと簡単にドリブル、切り返しで抜かれてしまいピンチになってしまう。(そのため、途中から、ドイツ守備陣の積極性が失われるという悪魔の循環まで起きる始末。)
イニエスタに至っては、ドイツ守備陣が3-4人でがっちりマークしてもボールを失わず、その狭いパスコースを簡単に通してしまう。といって、パスコースに注意した瞬間にドリブル一閃、入れ替わって大ピンチとなるのだから、たちが悪い。 対面がレームだったから、猛威は”ボール保持”にとどまっていたが、守備の緩いアフリカ勢だったら大量点の状況だった。

特に、ゴール前の守備では違いが明らかだった。
ドイツはディフェンスが横一列に並んでしまい、その前のバイタルエリアでスペインをフリーにしていしまい、ちょっとボールを横に動かすだけでコースができて、危険なシュートを打たれていた。
一方スペインは、面での守備が機能していて、ドイツの攻撃は、スペイン守備陣の森の中でもがいても木(スペイン守備陣)に当たるだけで、効果的な崩しが皆無だった。(交代出場の選手がキーパーと1:1になったのが唯一のチャンス)

みんなアルゼンチンやイングランド、オーストラリアに4点もとって圧勝したドイツの攻撃力を過大評価していたようだ。基本ドイツはカウンターサッカーではまると強いがボールが取れないと打開が難しい。サイドのミュラーが居なかったことが攻撃に単調性につながったという分析もあるが、元々、イングランド戦での前半終了間際のバタバタといい、がっちり固められて先制されたセルビア戦といい、先行逃げ切り、弱い者いじめといった形で、実はゲルマン魂から一番遠いところに、いまのドイツ代表はある。マンガチックな例えだが、どんな相手でも必殺のクロスカウンターで沈める力がある矢吹丈が今のドイツの姿だ。(ドラマとしては面白いが、チャンピオンには今一ふさわしくないような・・・)

しかし、スペインにとっても、あのサッカーを7試合は続けられない。高い集中と運動量を続けて勝ち続けるのは物理的に無理だ。 ヨーロッパチャンピオンのチームを譲られたデルボスケ監督の最大の課題はそこにあったと思う。
不調のフェルナンドトーレスを使い続けた理由もそんなところにもあったのかも知れない。
(もちろん、復調して爆発する可能性もあるのだから、そちらを少しは期待しただろうが)
1次リーグから決勝トーナメント一回戦ぐらいまでは、バルセロナ風の高速パス交換を封印して、普通にポゼッションと固い守備で僅差勝ちで乗り切るというのが戦略だったのだろう。
結果、スイスの堅守の前に初戦を敗北するというのは流石に計算外だったろうが。

それにしても、レアルの監督だった人だけのことはある。 優勝するために最善のかたちを一番の強敵ドイツを相手にするまで温存するというとてつもない狸をやってのける。自分は前任者のシステムをいじりませんと無能で善良、平凡な監督を装って・・・。

そうなのだ。 どうも今回のワールドカップでは、1か月の大会を如何に勝ちぬくか、どう敵と”味方”をだますかという戦略についての分析がジャーナリズムを見る限り少ないと思う。
いやしくも、ワールドカップに出てくる代表監督が、そのレベルの考察なしにチームを率いているというのは考えにくい。(更に、我々が知りえないアンダーグランドでの情報戦、心理戦をしているはずだ。) もう少し、代表監督に対するレスペクトがあっても良いのではないかと思う。

あのマラドーナでさえ、きちんと対戦相手を分析して、最適な対策をうっている。
更に、その上に、チームメーキングに成功して、とても良いチームを作ったのだ。
ドイツとの対戦では分析と対策が外れて、逆に弱点を奇襲されての先制点が重くのしかかってしまい、ドイツ得意の戦場に引きずり込まれて最後はカウンターに沈んだわけだ。
今でも続投を支持しているアルゼンチン国民も単なるアイドルバカではない。みんながアルゼンチンチームが好きだったのだ。(わずかの差を不運と考えるか、能力の差と考えるかではあるが・・・)

その逆がドゥンガ。オランダ相手に別次元の前半を1-0で終わりながら、一番肝心な後半で規律が崩壊して逆転負け。規律を売り物にした代表監督が、一番力を発揮できるハーフタイムに”何を言えばこんな事態に陥るのか”という失態。実は、後半のプレーにしてからが、集中力の欠けたDFのプレーから入っている。そこにドゥンガの心理マネージャー・監督としての能力の限界を感じる。エマージンシー状況での対策の引き出しの少なさ、判断の甘さもある。 日本代表にドゥンガという声もあるが、私はNGだと思う。

話を戻そう。 デルボスケは優勝を狙って、7試合のプランを組んだ。
では、岡田Japanだが、ベスト4が目標だった。 ここで注意して欲しいのは準決勝進出が目標ということは、ベスト8での戦いに勝つまでが想定シナリオ。つまり、日本は5試合のプランを組んだはずだ。敗戦後、岡田さんがもう1試合このメンバーに戦わせてやりたかったというのは、情緒的なコメントではなく、”当初のプラン”と違ってしまった”懺悔”のセリフではないかと思う。
そうなのだ。彼我の実力差、StrongPointとWeekPointを分析して、のびしろを考慮して、到達可能な目標としてベスト4を”本気”で岡田監督は狙っていたのではないか。単なる気分やかっこいい目標設定のためだけにベスト4を掲げたのではない。緻密に分析した結果、ベスト4(準決勝進出)が実現可能だと考えたから、表明したのだと思う。
守備的なチームを作って善戦することぐらい、1998年のフランス大会で経験済みだ。
しかしベスト4となるとトーナメントで少なくとも2試合は勝たなければいけない。
そのためには、1次リーグで無失点記録を作ったスイスのようなディフェンスの強いチームや、北朝鮮に7点をとったポルトガルやスペイン、ドイツといったトップレベルの攻撃力のチームに終わってみて1点余計にとって試合をCloseしなければいけないわけだ。これは、普通に考えれば”あり得ない”目標・結果だ。極めてハードルは高い。(昨今の守備戦略の充実によって得点自体がとりにく状況なので、なおさらだ)
岡田Japanは、それだけの攻撃的なチームを作ることに準備期間のほとんどすべてが費やされたといえる。(柱に想定した俊輔が機能しない・劣化という想定外はあったが・・)
そして、結果的には岡田監督が考えていた攻撃的なシステムは発動することなく大会を去ることになったのだ。

思い出してほしい。 ジョホールバルの時、岡田監督は、FW二人を交換するという博打を売って、城の同点ヘッドを呼び込み、延長から岡野を投入することでフランスワールドカップの切符を引き寄せた。
今回の決勝トーナメント1回戦も、状況はほぼ一緒だ。(ゴールデンゴール方式で1点取れば終わりの延長戦といった違いがあるが・・・)
また、採った交代策もほぼ一緒だ。より一層、守備で立ち上がり、攻撃のメンバーを投入して延長で勝ちにいくというメッセージは明確だったと思う。
ただ、年齢かね、あの思い切りのよかった岡田さんが、今回は対応が遅れた。とった手段は適切だったと思うが、総てが後手後手だったと思う。
その結果、”疲労の蓄積”で、交代策が機能せず、PK戦に持ち込まれたわけだ。(後半から中村憲剛の投入があってもよかったし、FW投入は延長開始早々でよかったと今でも思う。)
そのあたりが、覚悟がたらなかったといった岡田監督の反省の言葉に表れているのかも知れない。
また、疲労のマネージメントということでは、決勝トーナメント1回戦というのが、ギリギリだったのかもしれない。(何しろ、ベスト16に他国で進出したのが初めてだったのだから)

今回、ベスト16でPK戦負けという経験をした。
しかし、はっきり言えば、これはドイツ大会で経験すべき内容だった。
コンディショニングの失敗で1次リーグ敗退というのは、やはり”何故ジーコ”だったのかということに行きつく。Jリーグを立ち上げたまでは素晴らしかったが、会長としては問題だったと思うぞ、川渕三郎は。

結局、日本はPKで負けた。 その結果、予定したいたはずの攻撃仕様の日本は実現することなく大会を去ることになった。
つくづく俊輔は運が無いと思う。
結局、当初のプラン通りマリノスに移籍が最初のタイミングで実現していればとか、エスパニョールの主将が顕在でパスサッカー中心のチームであればとか、大会前にねんざをしなければとか、ボールがジャブラニではなく今まで通りであればとか、レバタラのオンパレードだ。
どう考えても”ついていない”選手だった。

結果的に、岡田監督も、運気の落ちている俊輔をはずして、本田中心のチームを選択するなど、勝負師としての勘の良さもうかがえる。
ただ、終焉の試合が忌み嫌っていたTBSだったというのは、岡田監督も笑えない運命の皮肉だと思う。

そういえば、TBSを含めて岡田監督はメディアと冷戦状態だったが、TBSを筆頭にサッカーを潰しにかかっていたメディアの圧力を明確に意識していたのだと思う。
その一方で、代表監督の役割として選手を守り、作戦・情報を秘匿して、結果を手にするということがある。 ある時点で、メディアは有害であり、チームメンバーだけを、いかにサポートするかということに判断を固定して、それからは代表強化に専念したのではと思われる。
まあメディア対応含めてそれだけ本気だったと言うことなんだな。

考えてみれば、岡田監督はつまらない監督だ。
背伸びをすることもなく、できる範囲で、選手の今ある能力以上の戦闘力を引き出し、緊急事態に逃げることもなく、常に日本の救世主として結果を出し、攻撃を標榜しながら、結局は守備重視の良いチームを作って、ステップを1段1段着実にあがって、今は当初のプラン通り退任が予想される。

そんな岡田監督が、大好き。