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英語学習について

うちは外資系です。
みんなが思っているほど英語は必要ありません。
また、みんなが思っているほど英語がみんな出来るわけでもありません。

ただ、仕事によっては、電話会議なんかに参加することがあったりすると、本当に英語ができないというハンデを強く感じます。

それで、見栄ではありませんが、読みもしない英語の雑誌をとってみたり、KindleやiPadを大量の電子書籍であふれさせて、ところでいつ読むんだこれを という状況になります。(多分、買い物が代償行為になっているのだと思います。一種の過食症みたいなものかもしれない。)

当然、古今東西の英語学習本、ノウハウ本、単語集から文法書、気のきいた本であれば片っ端から購入して、積んどく本棚の肥やし状態。

そんな私が、最近いいなと思い始めているのが、音読です。

やはり、昔の人が言っている 素読百遍自ずと通る というのは本当らしく、少々怪しかろうが、声に出して本を読むのが一番みたい。

つらつらと考えますに、英語を学習する、使えるようになるというのは、頭の中に英語を使う自分を新たに育てるということに他ならないわけで、英語でものを考えない限り話すことなどそもそも出来るわけがない。
ところが、内向的、内省的な私は、実は内面的には相当なおしゃべりなのではと疑っている。
つまり、私の頭の中には饒舌ななんでもコメントしたがる、鍛え上げられた”日本語を操る”自分が居るわけで、いつまで経っても英語の回路が出来てこない。
英語で文章を組みたてようと頭の中に描いたイメージに英語をあてはめていく、というプロセスを経て、英文が出てくるはずですが、そこで英語を組み立てるまえに、情景の描写から、使用する単語にまで蘊蓄、コメントをしかねないおしゃべりな奴が住んでいるわけで、いつまでたっても英語力は鍛えられないということになります。(ちょっと走るとすぐ転んでしまう補助付き自転車みたいなものかな・・)

ところが、音読となると、目は英文を追い、耳は自分の怪しい英語を聞き、口は子音ばかりで攣りそうになりながら英語発音と格闘していて、更に優しい英文であれば、情景・状況を思い浮かべているわけで、初めて英語の世界で頭が支配されることになるわけです。極めて強力に日本語が頭の中からパージされる感じです。

また、素材を選べば正統派の英語文章のリズムに則って心地よく進められて、しかも文章が平易だったりするとわかって読んでいる感が自分を後押しするわけです。

似たもので映画を覚えましょうというのがありますが、あれよりも多分音読の方が自分にはあっている。
(のだめがぷりゴロタのアニメでフランス語を覚える設定になっている。私の知っている人はカサブランカで覚えたらしい)
そういえば、シュリーマンも音読方式で何ヶ国語も覚えたらしい。プラトンと話す自信があると言ったそうで、やはり、効果・効率は高いみたいだ。

どこまで、上達するかはわかりませぬが、音読が良いものだということが改めてわかった次第。
勿論、正しい発音やイントネーションを身につけるために、少し早目の正しい英語を聞き続けるというのも大切だと思うので、音読だけ というのではないですよ。
ただ、なんとなく、効率のよい正しいトレーニング方法がわかった気がするのです。

あとは、英語が使えるようになるだけさ・・・

すごいボリュームです

衝動買いの結果がポロポロ届いてきました。

まず、シューマン全集 25CDのボックス。
正直伊藤恵のシューマニアーナを全部揃えたので(初期Versionの笑えるジャケットもあります)、ピアノ曲は全部ダブりになる上に、数少ない交響曲なども全集を持っているので、演者での違いを確認することぐらいで、改めて伊藤恵の素晴らしさを再認識することになりました。 まあ、200年目のご祝儀ということで・・・。

続いてコルトーの7CD。
封筒のかたちで届いたので、1CDを間違えて注文したのかと焦ったが、7枚ぐらいでは今ではこんなもんなんだねぇ。
早速聞いてみると、まあ、へたくそ。(^^;
アルヘリッチとかと比べたらいかんのはわかるけれど、音階などのタッチのばらつき、各所でのミスタッチ、当時から指が回らないと先生にも叱られ続けて散々だったらしいから、そんなもんでしょ。
ただ、ダイナミックな演出は新鮮。 どのメロディーラインを強調するか、消すか、テンポのコントロールによる色彩豊かでピークを作り上げる手法は、面白い。 楽譜に正確であることが優先される、出来てしまう今の演奏家には期待できない演奏かなと思った。ただ、彼によってショパンが蘇ったとまで言われちゃうと、当時はどうなっていたのと思ってしまう。
それに、7CDあるけどショパンは1枚だけなのも、ちょっと残念。

そして昨日ついにグラモフォンの111年記念セット前半55CDが届いた。
まあ、それはそれはすごいボリュームです。
ただ、BOXとしてはシューマンの25CDとほぼ一緒なのは驚いた。
ベートーベンの最後のピアノソナタが作品111であることにちなんだグラモフォン創立111年記念リリースだそうで、しかも全部で111枚のCDからなる集大成だそうで、なんだかよくわけがわからないけれど、すごい。
付録でついてくる小冊子にグラモフォンの111年が10年単位で解説されていて、これが結構面白い。
19世紀から2度の大戦を超えて生き延びてきたレーベルの歴史が少し誇らしげに書かれている。
なにしろ、エジソンの蝋管ドラム式に対抗してディスクを作ったところからはじまるのだから、レコードとクラシックの歴史そのものなわけで、フルトヴェングラーやカラヤンが”新人”としてうちではこのときデビューしたんです、と書けてしまうすごさ。 リヒャルト・シュトラウスが自作を振っていたりするわけで。
ものは、CDのジャケットそのままの紙の袋にCDがナンバリングされて演者のABC順に入っています。
今、これを書きながらiTunesに取り込み中ですが、まだやっとDomingo & Giullini まで、10枚目に入るところ。今日中には終わらないだろうな~。
第2セットの56枚は11月に入ってから、既に予約済み。
当分、CDは買わないで済みそうかも・・・ ほんとかな?

北朝鮮 権力闘争の終わり

チリの落盤事故からの生還や中国ノーベル平和賞騒動やらでかき消されているが、北朝鮮では長きに渡った権力闘争が終結したようだ。
本当に金正日の三男であるのかはおいといて、金日成を彷彿とさせる新たな指導者が国際デビューを飾った。
時を同じくしてファンジョンオプが消された。象徴的な出来事だと思う。
ここ何年も、不可解な騒動を繰り返してきた北朝鮮だが、金正男の逮捕、強制送還から幕をあけた権力闘争も、収まるところに収まったようだ。

驚いたことに、軍事パレードを至近距離で海外メディアに公開したこと。
これは、普通の国への脱皮宣言でもあり、体制が安定したことの勝利宣言でもあると思う。
若い指導者ということで、結果的に自然と集団指導体制に移行して、中国型の普通の政治だけ独裁の国になっていくのだろう。

異常な鎖国状態も、情報のコントロール(しかも極端な立場からの矛盾した)も、熾烈な権力闘争を前提とすれば納得できなくもない。誰がどんな手段で外部をコントロールしようとするかわからない、しかも、誰が敵で誰が味方かわからない状況では、外から人を招くことは危険そのものだからねぇ。
主体思想の創始者や王族のプライベートを語るスポークスマンたる料理人 藤本某が国外亡命できるというのも、エージェントだったと考えるのがよさそうだ。
そして、旧体制・既定方針に挑んで、自らの子供を王権につけようと画策した在日の子女による宮廷クーデターは失敗に終わったのだな。中国の古典を見ている気がするのは私だけだろうか。

現代は、飛鳥・白鳳・奈良時代以来、朝鮮半島の政治状況に影響される時代だが、北朝鮮が新しい時代に入ったので、これから日本への影響も色々あるだろう。
しかし、安定によって工作が減りそうなのは良いことだな。

ただ、いずれまた、軍と党の対立など、すぐに命がけの闘争がはじまる体質があるので、つかの間の小休止の可能性が高い。
中国がこれからややこしくなくので、北朝鮮の安定は良い材料だと思いたい。

U-19 残念だったけど ~ 人の評価について

U-19が韓国に2-0からひっくり返されて敗退というボロボロの結果でワールドユースの出場権を失った。
それにしてもよくこれだけ評判の悪い指導者をここまで引っ張ったものだ。
前回、7連続で途切れた記録が繰り返されたことになる。
(え?岡田さんも評判悪かったって・・・ ^^;)

どうして、これだけ結果が出ていない指導者が続投することになったのか。
多分、表に見えない部分で優秀なのだと思う。
ある形や状況ではまると素晴らしい結果を出したり、理論は素晴らしかったり、過去の実績が輝かしかったり・・・でも、それは、負けてしまえばどうでもよいことなんだけど。

しかし、能力を評価するのは難しい。
どんなに知識があっても、いや経験があったとしても、やって見せなければ能力は分からないものだ。
特に、レベルが上がってくると、デジタルな評価(採点表)では評価できないと思う。

更に、指導者となると、多くの引き出しを持ち、刻々と変化する状況下でも適切な対策を打ち続ける能力が求められるが、そんなものを評価する採点表は作ることが無理だ。(しかも作った瞬間から劣化する)
結局、実際の結果で評価するしかないのだと思う。

そして、代表レベルであれば、結果で評価されるのが当たり前だと思うのだが、どうやら昭和の昔から評価して結果で迅速に判断することができないというのが、日本の構造的欠陥・病のようだな。
身内の論理・優しさが時にダメダメな組織を放置することになるんだなあと思う。

スローガンやムードとか空気とか、実態とは違ったところで判断が下りがち。派閥・情実人事も健在だったり。(まあ、これは日本だけではないけれど・・・)

昔、決まったパターンで夜襲をかけるという”奇襲”作戦を部隊が変われど繰り返したと言われる日本軍の末裔であるから、いつも決まったロングボール放り込み戦術でやられるというデジャブを繰り返すのも、らしいのかな・・・

分かっていても、相手に合わせてチームを作るのは良しとせず、自分たちが信ずるサッカーを究めれば無敵だという太平天国作戦だったのかな。(プレッシャーに負けない技術をという敗戦後のコメントがそれを思わせる。)

チームビルドも間違えている気もする。こんな年代なのに、不平不満・批判がボロボロ出てくる。
その要因がチームの和が大切だから、それを乱す奴は、ってありそうな話。
監督は偉いのだから、言うことを聞け・・から入ってないでしょうね。

そういえば、コンクールの場合、大会にむけて、2-3曲を半年も1年もかけて仕上げてきても、それはそれで好成績を残せると思うのだが、高校サッカーも似たものなのか?
そんなユース世代では優秀だった(過去形)アマチュア指導者にトップリーグで活躍しているメンバーを集めて短期間でチームを作って、戦略を教え込んで、結果を出せというのが酷なんだと思うぞ。
それに、市立船橋の監督だったという威光も、今の若手には効力がないだろうしね。(あ、ワッキーの先生って、ワッキー自体・・・以下自粛)

かなり前から問題だと言われていたのだけれど案の定だったわけで、誰か止められなかったのか というのも、昭和の日本軍と一緒。

こういった問題を防ぐには、コーチや監督を誰が選んだか責任者を明確にすることだね。
(責任者は当然結果責任を負う → 川淵さん あなたのことですよ・・・ ^^;)
ダメだったら首を飛ばすという仕事があるのだから。

指導者の評価は難しいので、結果で判断するのが一番という話でした。

衝動買い・・・だって円高だもの

2週間ぐらい前に、ついつい衝動買いで、CDを大量に購入してしまった。
まだ4ボックスのうち1つしか届いていないが、全部来たらどうするんだろうか。

まずは、コルトーの演奏をしっかり聞きたくて、探し始めたのが運のつき。
全集が幾つかでていて、三千円ぐらいのが売っていたので、これにしようと、したところまでは通常のお買いもの。

ところが、そこで目に飛び込んできたのが、シューマン生誕200年の特別版の全集。
今年は、ショパンの生誕200年で色々と盛り上がっていますが、シューマンも生年は一緒なんですよね。
伊藤恵のシューマニアをやっと揃え終わった私には冷静に考えると、ほとんどの楽曲が揃っているのですが、オーケストラ曲と歌曲も入ってくるので、まあ、これも、5000円ぐらいだから、買わないと名折れだよね・・・とこのあたりでブレーキが壊れたらしい。

次に目に飛び込んできたのが、グラモフォンのセット。111年の集大成、特別版。
第1期、第2期の合計で111枚になるという代物。
そのリストを見ているうち、段々、感覚がおかしくなった。
どれも素晴らしい楽曲に演奏家、歴史的名演の一覧。それに、意外にダブりが少ない。(でも冷静になれば1割でも10枚は不要となるのだが・・・)
しかも、合わせて23,000円しかしない。
どうして、買わないでいられようか。

で、この4つのCD-Boxのどれを止めるのか、諦めるのか、ということになるのだが、
ブレーキが壊れた状態というのは恐ろしいもので、結局全部買うことにしました。

全部が輸入版ということで、一応、海外で購入した場合もシュミレーションしてみたのだが、送料以前に価格のレベルで日本で買った方が安いという驚愕の事実も、サーキットブレーカーを壊した原因だろうね。

グラモフォンの第2集はまだ予約中なので、まだ手元にはシューマンの全集 CD25枚が来ているだけ。
それでも物理的にも結構のVolumeがあって、今日やっとCDをiTunesにロードが終わったところ。
発端のコルトーは7枚ですむらしいけど、グラモフォンは全部で111枚ということだから、どうするんだろうか。
1枚10分でも1110分ということは、約20時間 データロードだけでかかる計算。
演奏を全部聞き終わるのはいつになることやら。
幸せな悩みかも知れませんが。

月日の経つのが早くて・・・

いろいろ、手を出して疲れているうちに、Blogに投稿する気力までなくなってしまった。
いつ以来だろうか・・・

今年は、いろんなことがありすぎ。
今日、買い物に行ったら、来年のカレンダーやら、年賀状作成素材集とかが売っていたので、軽いショックをうけてしまった。
会社的にはQ4に入ったということは、あと3カ月を切ったということですな。
例年師走は年々せわしくなるので、無いのと一緒だから、実質あと2カ月だね~。

少し早いけど、今年を思い出してみないと。

結構ショックだったのが、鶴岡八幡宮の大銀杏が折れたこと。
まだ、怖くて参拝出来ていないうちに、秋が来てしまった。

夏は滅茶苦茶暑かった。 それを予想していたわけではないが、クーラーを6月中に新しいのに替えたのが大あたり。実家も7月の中旬頃にクーラーを買おうかと相談されたので、今買っても2週間は待たされるし、シーズンのはじまりぐらいが安いから、どうだろうかと、意見をしたおかげで危うく両親を熱中症で殺すとこだった。(実際には、燃費の悪い旧型のクーラーがあるので、それを使ったらしく、元気です。)

例年は早くから計画して夏休みを取るのですが、今年は上海万博もあるし、海外だ!と一人盛り上がっていたが、パスポートを取るのが面倒とか、犬の面倒をみないとと反対されて、結局、それでも諏訪と白樺湖に行きました。 春日大社、出雲大社ときて今年は諏訪大社だったので、来年はどこかな?

仕事はますますルーチン化が進んで、負担が増大の一途で、疲れてきていますな。これから一山ありますが。

Kindleに読まない英語本を購入したり、iPadにどんどんアプリをいれたり、Twitterも最近は読むだけ(流して)・・・ どうも、何がしたいのか、分からないでもがいている感じもあって、疲労感がでてきたのか、単に年齢なのか。

そういえば、本のDB化を進めている一方で、読み終わった本の廃棄が着々と進行中で、せっかく作ったデータベースの意味が無かったり。(まあ、もう一回チェックして捨てたフラグを付けるだけだけど、もう手提げ袋3回分、リサイクル文庫に提供したからな~)

本当は、こういった内容はTwitter数回で十分なんだろうけど、まあ、たまには、こういう風にとっ散らかってもよいかなと。そうでもしないと、Blogを書くネタも無くなってしまうし。

もう一度、方針を整理しなおしが必要かな。

そういえば、最近、ネットでのトレーニングがプチマイブームになりつつあり、そこで、滅茶苦茶でもよいのでノートをとるというのが有効ということを発見した。

ネットのトレーニングは、元の資料はあるし、どんどん流れていくので、どうしても”聞いてるだけ”になりがちだけど、何も残らない。
その一方で、授業形式のノートを取ろうとすると、そりゃあ無理だ。
それで、中々勉強が進まんで頭を抱えていたが、少し良い方法を見つけた。
それは、とにかく手書きのノートをとる という方法。
→ 読み返すことを想定しないで、とにかくメモする
→ 途中でわいてくるアイデアを右側にキーワードでこちらもメモする(色を変えても良い)
→ 受講後、ノート(メモ?) を見返して、やることや疑問点を抜きだして、Evernoteに次々に記述していく
→ 個々の疑問点は解決されたら、Evernoteの該当項目に追記しておく
→ やるべきことはリストアップして、Action Planにして管理する

というのがよさそう。

結局、この歳になると、今から知識を吸収したり新しい技術を習得するというのは、あまり効率がよくはないので、ノートを作る過程で、アイデアや次の手を生みだすことが付加価値になるのかなと、思う。
その刺激策として、Evernoteを使ってみようかなと・・・
#ということで、Evernoteもアカウントだけあったけど、今月から使い始めています

色々試行錯誤しているうちに、あれもこれも食い散らかし状態 というのが、今の私ですが、こればっかりぁ直らないと思って、考えないことにしよう。

政治的天才の秘密 ~ヒトラーの大衆扇動術~

まあ、カバーをしないで電車で読むのは勇気がいるかな?

ヒトラーの大衆扇動術
許 成準
彩図社

昔、小室直樹がテレビでヒトラー礼讃をやって、物議をかもしたことがあったが、まあ、彼の主張は確かに正しい。
今では、悪魔の数字666と結び付けられるなど邪悪な存在のヒトラーではあるが、昔からの疑問として、何故あんな短期間で権力を握ることができたのか、しかもあのドイツで・・・というのがあった。

結局、現代の政治家のモデルタイプを作り上げたのがヒトラーだった、というのが答えになるのかな。
近代オリンピックの父も実はベルリンオリンピックを演出したヒトラーであり、徹底したイメージ戦略を駆使して大衆をひきつけるという政治手法も、大々的な景気対策を行って生活の改善を与えることで支持を得るというのも、各種メディア戦略を駆使することも、感情に訴えて単純明快な主張を繰り返すことで洗脳をすることも、すべてヒトラーが始めたことなんだな。
それに、外部に敵を作って団結するという古くからの政治手法も効果的だったみたい。

この本の秀逸なところは、ヒトラーの成功を、彼が単なる大衆運動家ではなかったこと、利益と恐怖(共産主義)を資本家に与えて資金という強力な支援を取り付ける冷静・冷徹な知性を兼ね備えていたことだと、より深く分析して説明しているところだ。

この本を読んだあとでは、ヒトラーはみんながカンニングをした優れたオリジナルだから闇に葬ることにしたのかなとうがった感想を持ってしまった。(ノウハウは知っている人間が少ないほうが価値がある。)

元々韓国で出版されたものの翻訳らしい。 最近、サムソンなど韓国の財閥系企業が好調なのも、この本を先んじて読んでいるからではないかと思うぐらい、面白い本です。

こんなところにも岡田の勝利

毎日暑いのに、8月に入るともっと暑いという話だ。
まだ7月が終わろうとしているのに、もう完全に夏バテで、まだワールドカップの夜更かしダメージが抜けていない感じだ。(それはそれで幸せな疲れだけれど)。

世の中もやっと通常モードに戻りつつあるが、注目の会長選が現職の犬飼会長の不戦敗に終わるという事件があった。
ワールドカップでそれなりの結果を出して2年での退任、しかも選出の場に本人が出てこなかったようだから、どう考えても普通じゃない。
70歳定年の内規をFIFA役員だから該当しないと、ほとんど江川の空白の一日ばりの屁理屈で小倉FIFA副会長の登場は、クーデターといってよいだろう。
(20年後、30年後、日本のサッカー界はこの出来事の意味を大事件として振り返るのかな・・・)

みんなあまり触れていないが、岡田監督は協会とも戦っていたと思う。
ただ23人のために ~岡田監督の戦い~
現場の監督としてはベスト16といった実現可能な”ノルマ”ではなく、夢や理想に近い目標を立てて、それにむけてチームをまとめるというのは良くある話で、ベスト4は”死ぬ気”を出させるギリギリの目標設定だったと思う。
ところが、それを”公約”として獲得賞金を予算に組み込むという喧嘩を協会は現場にしかけた。

TBSとの確執も、インタビューの拒否も、考えてみれば、日本サッカーを良くしようという気持ちの無い勢力との戦いだったのだな、きっと。 哀しいことに、その相手が協会の会長であり、多分名誉会長がそのお先棒を担いでいたのだから情けない限り。
大会前のバッシングも本来は協会が現場を守らなければいけないわけだが、そんな想いが、日韓戦の敗北直後の”進退伺い”に凝縮されていたんだな。

でも、そんな悲惨な状況とも戦って、1次リーグを突破して、ベスト16、得失点差+2で大会を終えて、数字・結果以上の高い評価を得たわけだ。

その結果を受けて、古くから岡田監督を信頼してきた”古い世代”が、今回クーデターに出たというのが私の見立て。

早速、会長が変わって、協会が機能し始めたと思うのは私だけだろうか。
次期監督の選定も、全面的に任せる一方、期限を設けて、経過報告を逐次とっている、いかにもコントロールしている有能な上司の姿が見える。日程問題にも早速取り組むみたいだし、AFCへの影響力もある(+ワールドカップの結果で発言力も)

大きな変化といえば、98年の時は二度と協会に足を入れないとまで言って、今回も大会後は農耕生活に入りたいとまで言っていた岡田監督が、サッカーの監督を辞めるとは言ってないと言い、協会の理事にもなってしまった。 今までは敵だったサッカー協会が味方に変わった瞬間なのかな。

それにしても、暴君の暴走を許す体質のサッカー協会は改革が必要だ。
川渕、犬飼と暴君型の会長が続くというのは制度上の問題もあるのではないか。
サッカーを愛する善人たちの集まりという暗黙の前提が、ビックビジネスになってしまい、保身と恐怖政治に走る輩が出てくる悪いシナリオ、可能性を考えておかないとまずい状況だ。
まあ、そういう問題を明らかにしてくれたことが犬飼前会長の一番の功績だね。
長沼、岡野系列につながるスマートな小倉会長に期待するところ大ではある。

人事権のない内閣?

参院選が終わって、民主党が大敗北を喫した。

小沢憎しでの路線急旋回の失敗なのか、いつも立派なことを言ってるならやってみろという傍観作戦による策略だったのか。

選挙前のコメントです: 負けたい民主党

全国で票を積み上げて、複数擁立で望ましくない左よりの候補を蹴落として、あとは菅直人の登場効果で圧勝のシナリオに乗っていた選挙を、最後に逆風を菅直人自らが招いて1人区で負けての敗北。
このまま前幹事長のシナリオ通りに勝ってしまったら終わってしまうという勢力が必死に首相によるテロを敢行したというところか。(ただ、微妙に負けるのは難しく、思ったよりも大負けして、どうしようと右往左往しているというところかな・・・)

ただ、今回の選挙結果で一番驚いたのが、千葉法相の続投だった。

どう考えても、法相に不適格と国民に判断されて落選に追い込まれた(すくなくとも、神奈川の民主党支持者では2番目の評価しかもらえなかった・・・)というのに、9月まで続投だそうだ。
しかも、本人も辞意を伝えたというから、選挙に落ちて、辞めたいと言った、”ただの人”を、法をつかさどる番人に据え置くというのは、普通に考えるとおかしい。

ただ、民主党、特に今の内閣では、大臣の交代・更迭が難しい構造になっているのかなと思ってしまう。
鳩山内閣総辞職でどれだけ一新されるかと思ったら、ほとんど自分の抜けた空席を埋めた程度で、ほとんど改造をしなかったのが菅内閣の発足だった。
政治の継続という意味では、頻繁に大臣が変わるのは望ましくないのかも知れないが、それにしてもだ。

確かに、大臣になりたいリストが既にあって、派閥からのプッシュがあって、限られたなかで選択をしてきた自民党政権に比べて、政治主導を掲げて、大臣・副大臣と複数で行政にあたる体制は元々政治家の数が必要な上、経験者や”準備”をしてきた人が少ない新しい政権であるから、簡単に首のすげ替えが難しいというのもわかる。大臣の資格が当選回数ではなく、本人の行政能力となると、適任者のハードルが高くなって、”適当な人がいない”ということもあるだろう。

ただ、政権にとって人事は一番の武器であるのだから、これを行使しないというのは職務怠慢にも見えてしまう。なのに、人事を断行できないということは、菅直人はその権限を実は持っていないのではという疑いを禁じ得ない。

新しい政権だから人事を調整する仕組みができていないことかもしれない。
調整機能がまだ有力者個人の能力に任されている状態で、それこそ小沢しか何も決められない内閣なのかも知れない。

しかし、選挙で落ちた大臣の更迭もできないような”硬直した”内閣が、外交をはじめとした臨機応変の対応が求められる行政の場で、意志決定のスピードが遅すぎて問題を大きくするという可能性があることが一番恐ろしい。

とはいえ、自民党政権がどうだったかということを考えると、我々は行政・統治能力が劣ってしまった政治家と制度を抱えているという現実を直視しないといけない。
ジャーナリズムは、いつでも危機 だが、その結果、日本の社会は安定と豊かさを手に入れた。
しかし、トップがマヒしても生きていけるだけ余力・体力があるのか、問われていると思う。

霊能力って・・・

久しぶりの書評はマンガです。

視えるんです。 実話ホラーコミックエッセイ (幽ブックス)
伊藤三巳華
メディアファクトリー

まず、絵が面白い。主人公と関係者の可愛いキャラクター化された表現と、見えてしまったものを描写する場合の劇画調タッチのギャップ。
話も、単に”見えるだけ”という作者の体験をまとめているので、結論とかオチがあまりなく、淡々と語っている。
いわゆる、夏を迎えると登場する”怖い話”を期待すると、肩すかしを食らう。
(そういえば、北野誠も一時期見えるキャラで出てたっけね~)

かといって、怖くないかというと、そうでもない。
特に、見えている時の作者曰く”劇画調”の絵は、結構怖い。(きたないとも言う)
結局、見えるだけで、あまり積極的に霊とコミュニケーションを取ろうとしているわけでもないという著者の微妙なスタンスが、全体のトーンになっている。
そこに、妙なリアリティがあって、自分の隣に、その世界があることを感じさせる力がある。

中でも私が秀逸だとおもったのが、鎌倉に行って、作者が、”花火があがって”、”女性たちが楽しそうに騒いでいる”という明るいイメージを持つが、より能力の高い霊媒師に、それは ”社寺が炎に包まれ”、”女官たちの阿鼻叫喚・断末魔”だという指摘を受ける箇所。
多分、北条氏終焉の地での霊視だと思うが、それだけあちらの世界とはコミュニケーションが難しいということなのだなと実感するところだ。

誰でも、なんとなく嫌な感じ というのはあると思う。そこに何かが居るということのようだ。
でも見えないわけで、各個人によって、感じる力、コミュニケーション能力に濃淡があるだけなんだなと割り切るしかない。

しかし、結局見えないだけで存在する世界があるのだ、と受け入れてしまうと、霊の世界も”日常”として受け入れられるのでは、という気になるから不思議だ。

元々が雑誌幽に連載していたものなので、各話がコンパクトにまとまっていて読みやすい。
お勧めです。