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百物語の完了によせて(鉄道も少し)

百物語が50巻で終わりになった。(正確には世界百不思議)

タイトルから考えると道半ばにしての打ち切りということなのだろう。
まあ、行き詰っていたのだから仕方ない感じだ。
最初はストックを次々に展開しておどろおどろしい週刊誌の誕生で、私より嫁さんがハマっていた感じだった。
ただ、世の中に不思議はそんなにはないということの証明になっているのかも知れない。

ちょっと前までは、鉄道、古代文明、世界の美術館、百物語と木曜日に発刊される定期刊行物を購入していたのだが、これで、週刊誌の文春だけになったので、少しだけ、生活パターンが変わるみたいです。(今は、「そうなんだ」 と隔週のYokohamaWalkerが出る火曜日がメインの雑誌購入日かな)

それにしても、「ムー」はすごいと思う。私が学生の頃(いつの話だ・・・)から、超常現象系の雑誌として延々と発刊し続けているのだから、敬服する。
まあ、百物語の半分ぐらいのテーマをストックして、とっかえひっかえアレンジしていれば、一巡するころには別の読者を獲得というビジネスモデルなんだろうけど。
(前世紀はノストラダムスで食べれていた部分があったとは思うが)

そうやって考えると、普通の出版社の連載というのは50(つまり1年)が限界というなか、長期連載を辞さないディアゴスティーニは偉いのかも知れないと思い始めている。
(それにしても、「鉄道」は最低だったなと思うぞ。)

鉄道についても触れると、90年代から最近までの約20年というのが、鉄道の黄金時代だったのかもしれない。
昭和の遺産もあり、まだ色々のモデルが並立していて、豪華で豊かな鉄道の時代があったのだなと、今は思う。
寝台車も次々と廃止されて、新幹線も700系に統一されていく時代(500系まで廃止の憂き目)の今、鉄道マニアはどこに夢を見ようというのだろうか。
各社が特急車両に力をいれて、多くの名物が生まれていた時代は、やはりバブルだったのだと思う。
北陸などの廃止にあわせて撮り鉄が押し掛けるという光景も、他に行くべきところが無い悲劇の表れだと思うのだよ。

刊行中は、その体系の不備、ビジネスのやり方の汚さ、混乱、編集レベルの低さに辟易・嘲笑をして、止めることができない自分を卑下するネタでもあった「鉄道」 300巻も、今となっては一番幸せな時代の象徴のように思えてくるから不思議だ。