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単なる占いなんですけどね・・・

日刊スポーツで0学占星術をやっていた、山本令菜さんが亡くなりました。
毎日が、Webでその日の運勢を確認してから始まっていたので、突然の訃報と、全ての記事が止まったページを前に、途方に暮れてしまいました。
それによって何が変わるということではないのだが、それなりのリズムを作っていたことが、突然視界から消えたことに、戸惑っています。
 悪い内容であれば、今日は少し慎重に行こうとか、悪いことがあっても運勢のせいにするとか、良い内容であれば、今日は生産性高いぞと勝手に喜んだり、良くも悪くも自分の動機付けに使っていたのだなと改めて思う。
 それにしても、あれだけ詳細な内容を毎日、手を変え品を変え提供するというのはすごいことだと思う。占いが当たる・当たらないより、どうして、そこまで細かく、断言できるのか、その能力に敬意を表してきました。(当然、不特定多数の人間にヒットするように、漠然としてはいるのだが)
 年齢が70を過ぎていたということで、そちらもびっくり。(もう、25年も連載していたとのこと) 合掌。

大本が、四柱推命ということで(細木数子も)、ある程度当たったということでしょうか。東洋では四柱推命、西洋では占星術が、易者の体調や(超)能力によらず、一定の占いができることが、これだけ長く続いた理由ですかね。(そういえば易断も暦だ)
システムの勝利ですね。

ところで、本当に未来が見えたら、幸せなのだろうかとも思う。
テレビで、死後の世界があるかどうかは判断できないが、なぜ死後の世界を作る必要があるかは、科学的解明されて来たという話をやっていた。(美輪明宏を前に ^^;)
未来を考えられるまで発達した人間の脳が、死を理解するために、(不安を解消するために)死後の世界を作った、という話でした。
そんな弱い人間に未来が見えてしまったら、とても不幸なんでしょうね。

うちらが中・高の頃、友達の間で、カミュの「不条理」がはやって、そのなかで、シーシュフォスの神話が話題になりました。巨大な岩を山の頂上まで持ち上げると、神の力で麓に転げ落ちる。そこから、また麓に戻って、岩を押し上げることを繰り返す、永遠の刑罰を与えられた男(ギリシャ神話の一話)を取り上げたものです。
 当時の我々にも、未来が完全に判っている点が刑罰である、という構造が、琴線に触れたと思います。
 同じことを繰り返していても、過去を忘れ、未来を予測しなければ、それは刑罰ではなくなるわけですから、そこに何の違いがあるのか。人生そのものも、実は、同じ構造なのではないだろうか・・・
 よくわかりませんね、当時も今も。

未来が決まっていて、それを我々が知らないだけなのか、それとも未来自体が決まっていないのか、というのは、本質的な論争のねたです。(決定論・終末思想にも関係します)
前者であれば、既に書かれているシナリオをこっそり覗くのが占い。(キリスト教的には預言者とも言う)
ただ、量子力学では、「神はさいころは振らない」と言ったアインシュタインの方が分が悪いそうで、後者の立場が、現在の物理学の潮流のようです。(決められたシナリオはなく、全ては確率的に決まる)
 だとすると、確定していない未来に対して、潮流を読んで、方向性を提示する(確率的に)、というのが占いの立場になります。
 そうすると、当たらないことも当たり前、曖昧になるのも仕方ない、ということで、占い師さんたちの仕事は正当化されますね。(そんなことはどうでもいいでしょうが)